こんにちは、みやけです。
今回は久しぶりに「闘病記」です。私の病気(骨髄異形成症候群=血液のガン)についてのお話となります。

2026年8月第一週をもって、私は骨髄移植手術後8年が経過する運びとなりました。5年目くらいで免疫抑制剤の服用も終わり、「もう再発も無いのではないか?」と思えるようになりました。一応寛解は随分前に言われていますけどね。
改めて、担当医、その間関わってくれた医療従事者、SNSで関わっていただいている皆さま、そして妻。全員に感謝しかありません。私はずっと病気になってからずっと「人を助ける側の人」ではなく「人から助けられる側の人」でした。その事実は色々な場面で思い知らされました。
そして寛解の前後にコロナの蔓延があり、その時は気が気ではなかったですからね。もちろん、健常な人以上に衛生面の対策は行っていました。ただし、もしコロナにり患したら、血液がんの患者としてはどういう悪影響が想定され、どのようなリスクがあるのか?それは経験豊富な私の担当医も答えることはできませんでした。

仕事は続けていたので、私にできることはワクチンを定期的に打って、感染症対策を徹底的に行うだけでした。「マスク・うがい・手洗い」ですね!当時はマスクばかりがクローズアップされましたが、うがい・手洗いも同じレベルで大事だと思います。
私は未だにこの3つは当時と同じレベルで継続しています。どちらかと言えば手洗いの方が大事なような気がしますね。
それはそうと私も妻も、全くコロナにり患せず乗り切ることが出来ました。しかしその間恐る恐る生活していた”クセ”は元に戻そうと思っても中々戻せるものではないですね。

以前は良く行っていた温泉・サウナは未だに利用していないですし、飲み事への参加も完全にシャットアウトしました。(元々たいして声はかかっていないですが)
そして大好きな猫ちゃんとの接触も4年くらいは自粛していました。釣りは我慢できず、やはり4年目くらいで行きましたが、衛生面で不安が残る餌のセット、釣果があった時の魚の取り外しは全て妻にやってもらいました。まあ、ほとんど釣れずに終わっていますが(笑)
結局「制限がかかった生活」をそれなりに続行している訳ですが、それはもう受け入れた、というか仕方ないと思っています。そして何度か書きましたが私は入院生活・療養生活を送る中で、ひとつの人生観が芽生えました。それは
今のコンディションでやれる範囲の事を楽しもう
ということです。私も来年60歳になりますので、そもそもが普通にあちこちに体調不良が出てくる訳です。コロナに罹った後は体力も免疫力も低下した後は「昔あんなことやって楽しかったのにやれなくなったな~」と落ち込むわけですが。それは加齢も同じこと。

それを無理に抗って元に戻そうとするより、それはそれで受け入れて今の自分をしっかり認識しその中で「楽しい」と思う事を見つけていく方が健全であるな、と感じたのです。
ここで勘違いするといけないのは、その「楽しい」と思う事は考えに考えぬいて選択する事です。「親兄弟がやっているから、やってもらいたそうだから」とか「推しの芸能人がやっているから」とかで選択してはいけません。それが自分自身が望むものとは別問題だからです。すごく陥りやすい”罠”なんですけどね。
さて入院後の話です。移植直後私は酷い口内炎になりベッドでのたうち回っていましたが、直ぐにリハビリが課せられ毎昼食後はリハビリーテーション室で70、80歳くらいの高齢者達と一緒に軽運動をしていました。それは10メートルくらいの間隔で置かれた2本のポールを早足で往復して速さを競ったり、踏み台昇降とか、正に老人のリハビリ内容でした。
それくらいの運動はなんとか普通にできる体力はあったので、私は真剣にこのリハビリに取り組み、毎日少しずつタイム・回数を伸ばすのに一喜一憂していました。高校時代は野球部に所属し、通算3本のホームランを打った私ですが、毎日点滴を引きずりながらリハビリテーション室内を早足で駆け回るのがその時のリアルな姿だった訳です。
話は変わりますが、私の心の師匠はテレホン人生相談でおなじみの加藤諦三さんです。私はボロボロになった自分に気づいて落ち込みそうになった際は加藤先生の下記の言葉をいつも噛みしめていました。

変えられることは変える努力をしましょう。変えられないことはそのまま受け入れましょう。起きてしまったことを嘆くよりもこれからできることを皆で一緒に考えましょう。
20代でこの病気に罹ったならともかく、50過ぎでり患した私はもう絶対に好きな事を好きなだけやるような生活は出来ない訳です。そして出来なくなったことを情けなく思っても何が解決する訳ではない。
退院後私は半年ほど会社を休職を延長し療養生活を送りました。その間、規則正しい生活を送り、毎日8時には家を出て5か所くらいをローテーションで近隣の図書館に出向き、心理学の勉強をしたりブログを書いたりしていました。昼にはそこを出るのですが、帰宅途中のス―パーで自身の体調に合う肉や魚を見つけて購入するのが唯一の楽しみでした。
その時は味覚障害を発していたので、何を食べても味がしなかったのです。でもたまに「これは味がする!」と思うのを見つけることがあればそれは凄く嬉しく思えました。味噌系の味とか複雑な成分のものは中々味を感じることが出来なかったですね。
そんなことが唯一の楽しみだったのです。でもそれは自然にそう思えました。加藤先生の言葉を既に心にセットしていたので。そして2019年5月に復職し軽作業を中心とした業務をしていたのですが、困ったことが起こりました。

2019年8月に福岡県が大豪雨に見舞われ、その中で朝倉地区が壊滅的な被害を受けたのです。そして私の勤務先はチェーン店展開をする小売店なのですが、その地区の店舗が浸水等の大きな被害を受けました。そして私の部署にその店舗の後かたずけに必要な商品をその店舗に直ぐに社用車を出して持ち込むよう本部から指令が来ました。(どのような商品か?具体的に上げると身バレするので明記できませんが。。。)
そしてその役目は私が指名されました。実際業務に最も余裕があるのは私であり、他のメンバーは確かに予定がぎっしり詰まっていたのです。しかし私はその回答をいったん保留しました。その時点ではまだ雨は止んでおらず、道中の危険もあったのですが、それはそれほど気になりませんでした。
しかし、「荷下ろしの際大雨が降って来てずぶぬれになる可能性がある事」そして現地は大雨で大量の泥が敷地内に流れ込んでいるので、「荷下ろしの際泥だらけになるかもしれない事」が大きな不安点でした。分かっていただけるのは少数の方だと思いますが、免疫力が低下している人にとって、雑菌と接触することは何よりも避けねばならぬことです。私はまだまだ「人を助ける」状態ではなかったのです。

そしてその雑菌が大量に存在しているのが「泥」及び「雨しずく」なのです。それをもろに浴びるかもしれない最悪の状況でした。私は熟考の末いったんは断りました。しかし「あなたしか行ける社員がいない」という事で、私の上司は申し出を受け入れてくれず、結局私は行く事を止む無く承諾しました。
何度も体験した事ですが、その後も「免疫力が低いのでこの行動はとれない」という事を他人に説明するのは非常に難儀しました。上司も「そのくらいのことをどうして気にしているのか?」といった雰囲気でした。社用車を借りに行く途中、私はホームセンターに寄り、かなり高性能のレインスーツを自腹で購入しました。経費で落ちたかもしれませんが、ここは私の意地でした。
結果、往復3時間かけて配達は完了しました。途中、高速上で荷物(荷台)を縛っているロープが緩み、休憩所でないところで結びなおしたり、高速を降りると大渋滞の為、やむなく未知の細い道路を曲がると一面水浸しで道路が見えなくなっている田んぼの中にに迷い込んだり、、、等の危機一髪の状況はありましたが、なんとか業務は完了させました。

途中、家屋が押しつぶされたり、車が流されたりしている光景を目の当たりにしました。救っている人が誰もいなければ私も救助に参加すべきだったのでしょうけど、もう既にパトカーやレスキュー車はたくさん到着していたので、私は業務に専念しました。
しかし、その半年後、人事査定で私は部長代理の役職から課長に降格することになりました。ただ私は1年間休職していたのでこれはやむを得ないか、と思いました。社則にそのような規定はないのですが。
更に、1年後には課長から係長に降格、その1年後には係長から主任に降格しました。3年連続降格となった訳です。特別大きな失態を犯したわけでありません。上司に理由を聞いたのですが、この人は相当変な人で、意味の分からない理由を述べていました。そして私の主任への降格の9ヶ月後、トラブルを起こして会社から去っていきました。

しかしこの3年連続降格は病から社会復帰しようと頑張る私にとっては非常につらい処遇でした。金銭的にも精神的にも。私の会社は同族経営の中小企業なのですが「地域の住民に寄り添い、助けになる」的なキャッチコピーを大々的に宣伝しており、私の申し出は社の方針に合わなかったのかもしれません。
それ以前に私はこの上司とパワハラ的な問題で揉めたことがあったので、報復的な処置かと思いました。しかし、まだ体力が回復していない私にとっては、辞表を叩きつけて社を去る、という選択は取れませんでした。どの会社ががんに罹った寛解前の50代半ばの中年を中途採用するというのか!
結果、私は現状を受け入れて今に至るのです。ただそれ以降私は腐る訳でもなく、定年まで5年を切っていたこともあり、「今の自分を受け入れ、本当に自分自身が楽しいと思う事を楽しむ人生を生きよう」と思うようになりました。

私は来年で定年になります。一応再雇用してもらえるとは思いますが、それは受け入れず社を去る予定です。再就職の目途がある訳ではありませんが、「もう十分頑張った!もういいだろう」という心境です。中堅・若手が続々退社し期待するような会社ではないですから。
がんにかかり、失ったものは山ほどありますが、その逆精神的に得たものはたくさんあると思いました。若い頃にかかったのだったら、受け止める精神力を得ていなかったかもしれません。加藤先生の言葉も届かなかったかも知れません。
私の寿命、、、、あと10年もないかもしれませんし、ひょっとしたらまだ30年くらい生きれるかもしれません。でも、ただ漫然と生きるのではなく、その時その時の自分の気持ちで「幸せだなあ」と思える時を過ごせるよう生きれれば、と思っています。

そういうときに「過去の栄光」とか「これまで築き上げたもの」とか「プライド」とかは実に邪魔です!いや、それがハードルとなってハッピーな状態に踏み出せないのだと思います。
最後にですね、下に私が過去に書いたブログ2点を紹介させていただいていますが、特に「私の骨髄移植⑯ 仲間と若者達を応援したい」は是非是非読んでいただきたいです。改めて読みなおしましたが、結構良い事書いています(笑)
きゃなちゃんもかなしおなさんも天国で元気にしているかな?
今日はこんなところです。それでは、また。
