原園善由紀さんの山田屋 薩摩のヤングライオンは令和も健在!

こんにちは、みやけです。

前回書きましたように、ブログ再開の1回目は元プロレスラーの原園善由紀さんを紹介した崩壊前の(涙)回をなるべく以前に書いたままを目指して書き直したいと思います。最後は色々と私の私見も述べますが。。。(笑)

原園さんは鹿児島県出身の元プロレスラー。お年は60代中半のはずです。当時は新日本プロレスに所属し前田日明やスーパーストロングマシン等と同世代です。190㎝近い身長を誇り将来を嘱望されていたのですが、体重を増やす為に無理な食事で身体を壊してしまったようで、デビューはしたものの僅か数戦で欠場に追い込まれそのまま不本意にも引退。その後は地元に帰って鹿児島市内で定食屋を営み、今でもそのお店「山田屋」を切り盛りしている方なのです。

 現役生活が極めて短かったため、原園さんの事を覚えている方は相当マニアの方でないといないかもしれません。ただしかし、前田・マシン他ヒロ斎藤、保永昇男達にもまれてデビューを果たしているのですから、当時はたぐいまれな身体能力を保持していたのではないかと思います。でも原園氏をネットで検索しても中々その情報は引っかからないのでよね。やはり地方の地方鹿児島在住のハンディなのか。。。書く理由のひとつはそれによって少しでも原園さんの健在ぶりを知ってもらえれば、というのがあります。

そして書きたかった理由のもうひとつが原園さんの生きざまです。妻が鹿児島出身の為、私は最低年に1回は帰省に同行します。その際ついでに過去山田屋には3回お邪魔して定食を頂いておりました。いつ行っても店内は大盛況の為ただでさえ人見知りの私は「いや~、元新日の原囿さんじゃないっスか!」なんて軽々しく声をかけるなどは滅相もなかったのですが、店内の雰囲気はプロレスの雰囲気は一切なく、まさに「王道の定食屋」といった雰囲気に少し感動を覚えたからです。

そんなこんなで2021年の夏のある週末、私は妻と一緒に鹿児島に行く際山田屋に立ち寄ることを決意していました。当時ブログを初めて2年たっていたのですが、昭和プロレスの事も頻繁に書いており、あまり消息が知られていない原園さんの事を記事にするのはとても有意義なことではないかと思ったのです。早朝に車で福岡を出発、10時半ごろ鹿児島空港に立ち寄り姪っ子(東京在住の当時23歳)を拾い、11時半には鹿児島市内に入り店横の駐車場に車を止めました。

山田屋は鹿児島市の中心部・天文館から歩いて10分くらいのところになる「小川町」の「シーサイド市場館」という建物の中にあります。他にも八百屋、肉屋さん等がテナントで入っている、昔ながらの地方の商業ビルです。山田屋は2階にあり、こじんまりしたお店。10人も入れば結構満員になります。店内は原園さんと奥さん(?)で切り盛りされており、7~15時までの営業。日曜は休みです。朝メニューの方が評判が高い様です。私も以前食しましたが、アジの塩焼きがめちゃくちゃ新鮮でおいしかった!

そして訪問前、私は事前にアポイントを入れておくかどうか迷いました。根本的に昔のプロレスの話を振られるのはNGの人かも知れない、と思ったからです。そもそもがまだ面識のない人に話しかけて撮影を依頼したり、話を聞くのが非常識ではないか?と思ったからです。

結局、何も伝えずに来店し、店内の雰囲気を見て話せそうだったら声をかけ、雰囲気的に大丈夫そうだったら、写真やかつてプロレスをされていたことの話を聞こう、そう決めました。見ず知らずの人から「今日行くのですが、時間が取れれば昔のプロレスの話を10分程度!」なんてアポを取られても気持ち悪いだけでしょうから。。。

私達3人は11時30分頃入店しましたが、すでに6~7人先客がおられ定食を食べていました。原園さんはテキパキと調理をされていました。当時はまだまだコロナウィルスが猛威を振るっていた頃だったのでマスク着用のままです。私たちは窓際のテーブルに座りました。

このお店が一番推しているのは「マグロ料理」なのです!ですので本来「本日のおすすめメニュー」のどれかを頼むべきなのです。しかし当時の私は血液のガンの治療で免疫抑制剤服用中だったので生モノがNGでした。ですので悪いと思いながら「ミックスフライ定食」を頼みました。

そして妻と姪っ子は躊躇なく「からあげ定食」「生姜焼き定食」を頼んでしまいました。私自身が食べないのに「何かマグロを食べてあげてよ!」とはよう言えんのです。。。

10分ほどで妻と姪っ子の料理が運ばれてきました。まずは生姜焼き定食!ボリューム満点!

次はからあげ定食!お肉は程よい柔らかさだったようです。いずれも美味しかったとのこと!

そして私のミックスフライ定食!妻と姪っ子の分を含めてすべての食材が新鮮でした!ちゃんとエビフライも入っているし白米も美味しい!50過ぎの私の胃にはちょっとヘビーすぎる大容量!流石元ヤングライオン!(←意味不明)

食べながら店内を見まわし気づいたのですが、中にいたお客さんは全て入れ替わっていました。凄くお客さんの回転がいい店だと思いました。退店時も含めて客はすべて男性。入ってくる方のほとんどは常連であり、日々の大半を原園さんのお店で昼食を取っているように見えました。この店が長く続いているヒントがあったような気がします。

原園さんは後から入って来たお客さん達とも親し気に会話しながらせっせと料理にいそしんでいました。お昼のピークは正にこれからです。姪っ子とは久しぶりの対面だったので私達3人はおしゃべりしながら30分くらいかけて食事をしました。このお店の状況を考えたら長居しすぎたのかもしれません。

そしてお勘定です。外で席が空くのを待っている人はいないかったですが、昼食のピーク時ですし「ちょっとお話を」なんて声掛けはあまりに非常識です。私はどうするのがベストかいろいろ考えました。「このまま普通にお金を支払って一声かけて帰るくらいがちょうどいいのかも」そう決意しかけました。

しかし厨房内でお客さんと話されている原園さんの雰囲気、、、、くったくなく温和そう、、、多少の事は受け入れてくれるのではないか?と私は思いました。何となく原園さんの手が止まった瞬間を見て私はレジに向かい女性の方から清算してもらいながら、私は横にいた原薗さんに話しかけました。

(私)「ごちそうさまでした!福岡から来たのですがとても美味しかったです!」

(原園さん)「へ~っ!福岡?」

(私)「はい。あ、私ブログをやってまして、昔のプロレスの事をいろいろ書いているんですよ!」

(原園さん)「そうなの?新日本?全日本?ここのお客さんも好きな人多いよ。」

(私)「どっちもファンでしたよ。(実は馬場派)、、、、、お名前原園さんですよね?昔されてましたよね?」

(原園さん)「ははは、昔のことだけどね。すぐ辞めたけど。(笑)猪木さんに鍛えられた事あるのよ。」

(私)「確か同期は、、、、」

(原園さん)「前田とか、平田とか、、、凄い人ばかりよ(笑)」

ここで、新たに2人のお客さんが入ってきました。私はこれ以上長く会話を続けるのは非常識だと思い、原囿さんにお顔の撮影だけお願いできないか尋ねました。快諾してくれました。時期がらマスク着用だったのが悔やまれます。。。

そして私は俺を言い妻、姪っ子と共に店を後にしました。急な申し出に快く対応してくれた原園さん、その節は本当にありがとうございました。

私は元々人見知りな人間です。人の懐にズケズケ入り込んで「やってますか~?」みたいな事を軽々しく語れる人間ではないのです。しかし原園さんに対していろいろと話しかける事が出来たのは何故だったのか?あとから色々考えました。

一言でいえば原園さんは「心を開放している」そんなイメージがありましたね。多弁な方という印象は持たなかったですが、誰から声を掛けられてもウエルカムな感じで、壁を作っていない感がありました。こういう人は客商売に向いているでしょうし、長くお店を続けられている理由のひとつがこれかも知れません。誠実、だけど「声をかけるなオーラ」が皆無、そんな印象でした。

店内には市内で開催されるプロレスのポスターはありましたが、特に自身が元プロレスラーであることを誇示するような展示物は見渡す限りありませんでした。ここに来られる常連さんにとってはあまりその事は重要ではないのでしょう。美味しい料理を食べるのが一番の目的でしょうからね。

ここまで店を続けてこられるのには幾度も障害、苦労があったと思います。プロレスから一般社会へ飛び込んだ時の気持ちの切り替えも、、、プロレスラーの引退後は中々うまくいかないイメージがありますが、地元で常連客に愛され毎日コツコツと料理を提供している原園さんの生き様はすばらしいな、と思いました。

私が写真撮影の声替かけを決意したのは原園さんから滲みでていた開放感オーラがあってこそ!そんな気がするのです。

さてこれからは、私の御託となります。(笑)

ここ5年ばかし、プロレスラーのトークイベントが頻繁に行われました。過去の名レスラーがYou Tubeチャンネルを作り、自身の言いたいことを発信するパターンも相次ぎました。いずれも”衝撃の真実を大暴露”のパターンではあるのですが、「プロレスがフェイクか否か」とかそういう話題よりも、特定の人物について「彼はホントはいい奴ではないんだ」と言いたいだけの内容がかなり多いように思います。最近はコロナ過及び供給過多によりおさまりつつありますが。。。

この内容はもう昭和の日本プロレスのレスラー、、、上田馬之助、大木金太郎、グレート小鹿等が、言い続けた「俺は組織の為に自分を殺して〇〇を盛り立ててきたが、結局〇〇ばかりいい目を見ている!マット界は冷たい。誰も俺の事を分かってくれない!ホントはもっと大金を得るはずだった!」と言い続けた話と同じパターンです、何度繰り返された事か!会社から冷遇されたサラリーマンのセリフな訳ですが。。。

私はプロレスはフェイクだと思います。でも自らの命をも犠牲にしかねない非常にリスキーな職業だと思います。リスペクトしています。そして見る側、別の回で詳しく書きたいと思いますが、フェイクをはじめから受け入れたり、全くそうは思っていなかったり、その度合いは色々なパターンがあります。これがプロレスの面白いところです。

上記のイベント、You Tubeチャンネル、私は特に見に行ったわけではありませんが、チラ見したり、後日談を耳にする限りは「主催者に踊らされ、利用されているな」とつくづく思います。ベースにあるのは「ファンに意外な真相を知ってもらいたい」というのではなく「アイツが酷いから俺はこんな目に逢っている」という事を言いたいわけですから内容がエスカレートするのは目に見えています。

当時の状況は「フェイク」であるから「〇〇の悪い点」は隠されていると思うのですが、「語っている本人の悪い点」も隠されているのではないか?普通にそう思いますよ!レスラーの暴露話で「私にも悪い点があった」という部分から始まるのは聞いたことがなく、兎に角攻撃一方!今の生活がうまく行っていない為の適応機制の転移、簡単に言えば八つ当たりであると強く思います。

未だに「プロレス」というワードが認知されているのは偉大な先輩レスラー、その当人の同世代のレスラー、そして重要なのがその後マット界に入って来た後輩レスラー、それぞれの人たちがプロレスの歴史を作って来たからこそです。暴露している当人がなんとか生活できているのは後輩レスラーが「プロレス」の看板を守っているからであるのに、それに唾履くような行為を良くできるな、と思います。

まあ、かなり厳しいことは言いましたが、自分が好きで飛び込んだ世界であろうし、一定の期間所属したのはそれもまた自分が決断した事。何も家族を人質に取られて強制的なレスラー活動を余儀なくされた、という訳でもないでしょうに。いい年をして何をやっているんだろうなと強く思います。

長州力

彼については正直昔はあまり好きではありませんでした。といっても性格云々という事ではなくファイトスタイルがです。でも近年の彼の一貫してブレがない生き方、妙な暴露話のお誘いには振り向きもせず、コメントする内容にも変にウケを取ろうとかそういう部分がありません。スーパースターの幕の引き方として素晴らしいなといつも感心しています。

長州さん、いつまでもお元気で!

今日はこんなところです。それでは、また。

#新日本プロレス

#長州力

#原園善由紀

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