現在 帯状疱疹からの顔面マヒ

こんにちは、みやけです。

ずっと書き続けてきたこのブログの過去データが全てクラッシュしてしまい、また一から書き直そうと思っています。

私の骨髄異形成症候群の治療経過についてもやはり一から書いてみたいと思います。しかしその前に私の現在の体調も是非書いておきたい!最悪なのですよ!

私は7年前に骨髄異形成症候群という血液のガンにかかり、2年後に骨髄移植を経験(血液の型は完全一致)。今年の8月6日に移植から5年目を迎えるのですが、経過はまずまず順調。移植1年後あたりに肝機能の数値が大きく上昇したことはありましたが(GVHD?)1年近くかけて改善。赤血球・白血球・ヘモグロビンは直ぐに基準値に回復しました。その間体調が悪いという事も無かったのです。

しかしそれに並行するようにコロナ過が訪れ、担当医も薬を減らしていくことに慎重になりました。ワクチンはきちんと打っていたのですが前例がないので仕方がないですね。途中治験扱いで抗体検査もしてもらったのですが、ワクチンによる抗体はしっかりできていました。

コロナ過も大方収まり、担当医も薬を減らしていくことに積極的になりました。昨年末免疫抑制剤を完全に終了(長かった!)そしてその後は1日何錠かウイルスを殺す薬を飲んでいたのですが、今年の5月にそれも終了。病院を出る際何も処方箋が無かったのは実に爽快でした!

しかしこの1年、私を取り巻く環境は心身ともに激動とも言っていい状態でした。昨年のちょうど今頃妻の母の認知症が発覚。保有するマンションを売却し移設に入らなければならなくなりました。そして諸問題の為義母は地元の鹿児島ではなく私たち夫婦が住む福岡の施設に住むという結論にいったんはなり、各施設を探し回りました。認知症患者ののマンション売却の為成年後見人の勉強も色々と行いました。

しかしその件はその後スムーズに進み、義母は今年の4月鹿児島の施設に無事入居し静かに暮らしています。しかし昨年9月今度は自分の母に異変が起きました。母は私の住むマンションから車で20分くらいのところにある1軒屋で一人暮らしをしていたのですが(父は8年前に死去)8月の台風の後2階バルコニーの鉄骨の一部が落下したのです。

業者に色々調べてもらったのですが、2階雨どいが詰まっており、長年内部に雨水が侵入、腐食を起しており内部にも影響が及んでいる。築35年だが安全性の為建物全体を取り壊した方がいい、という結論になりました。東京在住の弟を交え、色々と協議した結果実家は取り壊して売却、母は近くのマンションに一人暮らしを行うという結論になりました。施設への入居は勧めましたが母はかたくなに拒否しました。

しかし、久しぶりに母と長時間生活すると、母には大きな異変が起きていました。料理をほとんどしていなかったり、物忘れが急に激しくなったり、、、しかし私も妻も義母の引っ越し問題も並行して行っていましたし、それに加え不動産売却及び名義変更(土地は亡き父名義)という慣れない作業に追われ、母の体調につっこんでケアできる状況でありませんでした。

母は今年の1月末に新居に引っ越す予定で、家具・家電もすべて取り揃えていたのですが、引っ越し前日早朝ベッドから落ち(?)右手が動かなくなっているのを発見しました。すぐさま救急搬送したのですが、ベッドから落ちたのは今回が初めてではなかったようで、病院の検査で首の骨が脱臼しているのが確認されました。

判明後緊急手術が行われ、成功はしたのですが高齢の為体力が落ちており、間もなく感染症にかかり40度近い高熱を出し、搬送後1週間後には息を引き取ってしまいました。あまりにも急な逝去でした。その後の対応、事態が一変した不動産売却・名義変更。2~3月は地獄のような毎日でした。しかし母はいわゆる”毒親”タイプ、それも言葉がかなり強烈な人間であったので、私の心の中にはどこかでホッとした部分がありました。

今回関わってくれた不動産会社の営業のDさん、司法書士のKさん、税理士のMさんの尽力で3月末の49日法要のあたりで大方諸問題にめどがつきました。3月30日には大好きな沢田研二さんのライブに参加。それまでの心労を忘れ心置きなく楽しめることが出来ました。ご先祖様が「よく頑張った!」と労ってくれたのだと思いました。

そんな中、特に体調の異変を感じる事もなく日々の暮らしを続け、6月には広島に小旅行に行ったりもしたのですが、どこかで疲労は蓄積していたのでしょう。6月末~7月頭まで会社の部署内でシャレにならないぐらいの作業に関わらなければならなくなりました。私の通常業務は内勤でディスクワーク4:軽作業6くらいの比率なのですが、今回の作業は部署内メンバー全員(私含め4人)参加、終日作業を述べ5日程度続けるというものです。

内容的には約2000ケースのダンボール内に10種類くらいの家庭・台所用品が混載しているのですが、それを取り出し種類ごとに仕分けし、数を数えて箱に詰めていくというものです。一応エアコンのある倉庫内での作業ですが、効きは悪いし、全体作業なので自分のペースで行えず肉体的な負担は強いものがありました。

なおかつ、当然通常業務を免除されるわけではないので、それは作業がない日・ある日の休憩時間内等に効率的に短時間で済ませる必要があったのです。ご承知のように日本全国で35℃を超す猛暑が直撃しているというのにその作業は決行されました。

本来、その手の作業というのは契約している委託物流業者が携わるのですが、今回の業務は「契約外作業」ということでやってもらえなかった。いや、別途作業費を支払うという事で対応してもらう方法もあったのですが、うちの会社はその依頼をしようとしなかった。。。部全員ヘロヘロになって作業しているのに。。しかもそんなハードな作業をなぜ急に急ぎでやらなければならないのか皆目不明でした。

結果作業2日目木曜夕方のあたりから強烈な歯痛を感じその夜駆け込みで歯医者に行くと「虫歯が数か所ある」との事。私は骨髄移植を受けたので歯医者には5年くらい行っておらず(血小板の値が低いため出血・感染症が心配)歯磨きはこまめにやっていたもののこのような状態になっていたのです。とりあえずその日は一番傷みがある左の歯を削ってもらい、土曜に予約を入れました。

しかしその日の夜から「まだ虫歯がある」方の右の歯がうずきだし、2日連続夜も眠れないありさま。土曜にその歯を削ってもらうと痛みは徐々に収まって行ったのですが、今度は右の頬が腫れあがり失神もできてきました。痛みもあります。翌週月曜は休みを取り静養していたら夜に38度の熱が出たので、「もしかしたらコロナでは?」と思い、即日PCR検査の結果が出る近隣のお医者さんを探しました。

そうすると車で10分くらいのところにあるM耳鼻科というお医者さんがその設備を持っているということで朝一そこに向かいました。38度の熱は前夜23時頃の一瞬でその後は36.8~37.3度を推移していましたので「おそらくコロナではないだろう」と思ってはいたのですが。。。。

PCR検査結果は「陰性」しかしその直後の先生の診察では病名は「帯状疱疹(たいじょうほうしん)」との事でした。ショックでしたね。赤い斑点は日に日にひどくなっているはずです。おそらく免疫抑制剤や抗ウイルス剤のその人止め、無防備に近いところに母の死の心労と仕事のハードさが重なり免疫力が落ちていたのでしょう。

先生と協議の上、その日と水・木は休みを取り静養。金はデスクワークのみで出社ということにし忠実にそれを実行しました。薬も大量にもらいました。そして再度土曜朝いちばんに病院に行きましました。頭痛はだいぶ収まっていましたが、前夜から右の頬がしびれ食事がしにくくなっているのが気になりましたが。。。。

診断結果は「顔面神経痛が発症しており悪化する可能性がある。方針が耳の内部・口内にも多くできており早期に治療しないと完治が大幅に遅れる可能性がある」とのことでした。「もう私の範囲を超えているので内科・皮膚科を備えた総合病院に紹介状を書くが1週間程度の入院治療が必要になるのでは?」との事でした。これは大きなショックでした。そこまでの状況になっているとは。。。。

タイミングの悪いことに翌月曜は祝日です。私は会社に連絡を取り月曜は自宅で療養、火曜に病院に行くがおそらく1週間前後の治療が必要で見込みで、その間休みを取らせてもらいたい、と上司に申し入れ了承されました。そして火曜の病院の開院を待っている、、、というのが今の状況です。

この「顔面マヒ」の治療がどうなるのか?火曜の大病院での診断結果を聞かないと分かりません。

ガン治療の担当医とも随時連絡を取っていますが、帯状疱疹の話をするとショックを受けていました。顔面マヒの話は伝言のみです。おそらく今後の治療にも影響が出そうです。骨髄移植後5周年記念日までもう1ヶ月は切っています。ちょっと前までは「平和にこの日を迎えられそうだな」と思っていたのですが何とも複雑な心境ですね。

凄く愚痴っぽくなってしまいましたが、現在こんな状況です。

次回から昔に戻って、骨髄異形成症候群発症の時点から書いていきたいと思います。

それでは、また。

#骨髄異形成症候群

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#帯状疱疹顔面マヒ

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