こんばんは、みやけです。
今回はブログ再スタート以降初めてジュリーの話を書くことになります。
すでに全てのデータは消失してしまったのですが(涙)以前のブログで『私の沢田研二論』という題名の回を書き、“私のブログとしては”沢山のアクセスがありました。コメントも数多くいただきましたし、Facebookで紹介頂いたりもしました。
私のブログの総アクセス数では長い間1位を独走した回でした。内容は「なぜ私はジュリーが好きなのか?」という自身の考察と、大恋愛の経験があるわけではない私があるふたつの歌の内容について当時の自身の境遇を照らし合わせて大変共感を持ったことを綴ったのです。
とても思い入れの深い内容であるので、今回もう一度今の気持ちに照らし合わせるながら書いてみようと思った次第です。
私がジュリーのファンになったのは、小学校3年の時に「勝手にしやがれ」を聞いて衝撃を受けたのがきっかけです。非常にベタな理由ではあるのですが、それ以来のめり込む具合の強弱はあれど、50年近くジュリーを応援し続けている訳です。
なぜここまでのめり込んでいるのか?私は母親が精神的に未熟な人間であった為か、非常に承認欲求が強く、褒められること、認められてる事を渇望し続ける人間なのです(笑)ジュリーの歌、特に一等賞連発時代の歌は『僕はこんな事を考えているんだ!僕の気持ちをわかってくれ!」という内容の歌が多く、それに知らずと心を寄せて行ったのかも知れません。
FIGURE ME OUT!
そしてそれが長年に渡って私にハマるというのは、ジュリー自身もそんなバックボーンがあるのか?そんな事も思ったりもします。ただし、ジュリーの夢のような世界観に憧れを持つ事はあっても歌の内容そのものに「分かるわ〜!」と共感する事は中々ありませんでした。極めて真面目な?普通人である私には大恋愛の経験はないですから。。。
私は2000年過ぎ位からジュリー熱がやや軽くなり、毎回アルバムを購入するまでには至らなくなりました。しかし2008年での還暦コンサートで熱が再燃!以降はジュリー依存度が更に高まった気がするのですが、その頃自身が共感出来る大変印象深い歌に出会いました。
それは2010年にジュリーが仲良しのワイルドワンズとの限定コラボ(JULIE with THE WILDONES)でリリースされたアルバム、(タイトルはグループ名をそのまま流用)『プロフィール』という曲です。
作詞・作曲 SUNSET-OIL、編曲 上田健司 となっています。歌詞を文字起こししてみます。
人気のないさびれたバッティングセンター、がむしゃらに打ち返していた。気持ちはもう特大のホームラン。メジャーリーガーなんて目じゃないさ。
あいつらどうしてるかな?地元は相変わらずかな?傍若無人に酔う、大器晩成を希望。思った通りにはいかなかった。
明日のことなんかどうでも良かった頃、本当は明日を待ち侘びていた。あの日の空とあの日見た夢、あの日の僕はどこにいる。あなたの顔とあなたの声が今でも僕の中にある。
海岸通りいつも渋滞の中、波待ち人を羨みながら折り目の取れたスーツを着て俺は今でもビッグウエイブ狙っている。
忘れてしまったのかな?地図にない道に立っているのかな?未来は予測不能、千変万化の今日をいこう。思ったようにしかやれないさ。靴底減らして悩んだあの頃、大人になってもみんな迷ってる。
子供の頃と変わらぬものが今、僕に語りかける。まだ見ぬ場所が次のページが歩みを止めるなと言う。
心の底の方消えずに灯る炎、まだやれるはずだろ?消せるはずないだろ?
あの日の空とあの日見た夢、あの日の僕はここにいる。みんなの顔とあなたの声が今でも僕の中にある。
実はこの曲は発表された時期、私は失業者でした。40過ぎてようやく結婚してまだ1年しか経っていませんでしたが、勤めていた文具問屋のあまりにブラックな待遇に嫌気が差し、意を決して退職し次の勤め先を探していたのですが、スキルの低い40過ぎ中小企業社員には中々面接さえも受けて貰えず苦悶していた頃でした。
ハローワーク経由の職業訓練校に行く車中、何度この曲を聞いたことか!ジュリーの力強い「まだやれるはずだろ!」の声に「ジュリーが俺の事を鼓舞してくれている!」と涙したものでした。ジュリーの歌の内容に心から共感したのはこの時が初めてだったと思います。
そしてその半年後、私はなんとか今勤める会社に入社する事が出来ました。色々な偶然が重なり合い以前の勤務先より格段に高い条件での採用です。40過ぎての転職としては有り得ない程うまく行ったと信じています。
あの時心を支えてくれたのはジュリーのこの歌、力強い声!今でも本当に感謝しているのです。
そして今の会社で働き始めて数年後、you tubeにて「中村浩一」さんという名古屋在住のプロデューサーでジュリーファンの方の番組を知りました。歳も同じくらいでとても親近感を持ったのですが、その方が「自分が思い入れのあるジュリーの曲紹介」という企画をラジオで行ったものに出会ったのです。
その番組は計15回放送され、リストアップされた曲はジュリーファンなら納得の皆が知るメジャーな名曲達!しかし最終回の最後の曲、中村さんがチョイスしたのはこの「プロフィール」だったのです!
ああ、この曲は私と同じ年代の男性にはグッとくるのだな、とすごく嬉しく思ったものです。中村さんもその後色々とご苦労はされおられるようですが、大変精力的に仕事に取り組まれており、陰ながら応援させていただいております。
そしてもう1曲あるのです!実はこの曲の方が思い入れが深い!「無事でありますよう」です。
2000年9月にリリースされた、ジュリーのアルバムの中でも名盤中の名盤、『來タルベキ素敵』にp収録された曲で、作詞 筧和歌子.作曲 吉田光 となっています。早速歌詞を文字起こししてみます。
当たり前じゃない事が当たり前に思え、当たり前に過ぎる時間を短いと感じる。もう冬の日射しが黄金色に変わり着膨れした君が見つめる赤とんぼたち。
誰かに何かに夕焼けにありがとう告げて、夕日に祈ろうどうぞ無事 無事でありますよう。
当たり前である事が、当たり前でなく。当たり前じゃ見えぬ一瞬長いと感じてる。落ち葉焚きの温もりが白い煙をあげて猫も散歩、君が笑った。時が弾んだ。
大地に大空に夕焼けに軽くキス投げて、昨日に明日に幸せ祈る。
誰かに何かに夕焼けにありがとう告げて、夕日に祈るよどうぞ無事、無事でありますよう。
誰かに何かに夕焼けにありがとう告げて、夕日に祈ろう どうぞ無事、無事でいてほしい。
この曲の存在は随分前から知っていたのですが、「すごく優しい曲だな」と思った程度で強烈なインパクトを自身に残したわけではありませんでした。猫好きな私にとっては「猫も散歩」の部分が一番印象深かったのです。
しかし今の会社に勤め始めて8年後、色々と心労を重ねた為か私は骨髄異形成症候群という血液のガンに罹患してしまいました。病状はあれよあれという間に悪くなり、抗がん治療を経て骨髄移植を行い、会社を1年間休職しました。
病室内で抗がん治療に苦しむ私はジュリーのアルバムをひたすら聴きまくりました。そしてこの曲の素晴らしさに遅まきながら気づいたのです。「人の心にここまで寄り添う歌があるのだろうか?」と、もちろん筧さんの詞が素晴らしいのですが、ジュリーがそれ以上に心を込めて歌っているのが分かるのです。
無事でありますよう、というのは愛するパートナーを対象にしてだと思うのですが、詞の慈愛・ジュリーの歌唱力によって、この世の生きとし生けるもの全てに無事を祈っているように聞こえてくるのです。
秋から冬に移る美しく切ない光景を描写することによってその印象が更に深まります。弱った身体の私にとってはこの歌が私の体調を労ってくれているようで本当に心に染みました。そして“当たり前の事”に感謝するその気持ち。
自身の闘病中は抗がん治療の為、口内が炎症でズタズタになり食物どころか命綱の薬を飲み込むのにも毎回悶絶する惨状。原因不明の高熱が続き24時間点滴に繋がれ、生きた心地がしない毎日でした。本当に“普通に”“当たり前に”生活出来ることの素晴らしさが身に染みました。
私は治療中何度もこの歌を聴き、この苦しい気持ちはジュリーも理解くれているのだ、と自分を励ましたものです。
そしていま、深刻度は全然違うのですが、私はまた病気で苦しんでおります。疲労で免疫力が低下したところ、帯状疱疹が出来、それが発展して顔の右半分が顔面麻痺にかかってしまいました。症状は中程度です。完治するかどうかは分かりません。治療5日目で徐々に回復はしてきていますが。
このような状況であると、これもまた“当たり前であること”の有り難さが身に沁みます。普通に食物を咀嚼したり、飲料をガブガブ飲める何でもないことが出来なくなるのが何と辛い事か!しかし私にはジュリーの歌がある!そう言い聞かせて治療に取り組んでいます。
何かのタイミング次第では、他のミュージシャンの歌でも自身に沁み入る出会いがあったのかも知れません。でも一番好きなジュリーから人生の節目で大変共感出来る歌と出会えたのは素敵な事でした。
私は「聞き分けのない女の頬を張り倒した」事も「家を出て行く女の気配を寝返り打ちながら聞いていた」事もありません。でもとことんジュリーの歌を聞いた上で極めて共感出来る歌に出会ったのは本当に良かったなと思っています。
こんなところですね。それでは、また。