私の骨髄移植  ① プロローグ

こんにちは、みやけです。今回は私の持つ疾患の話です。骨髄異形成症候群という血液のガンに8年前罹患し、骨髄移植を受けたのち何とか寛解。今では普通の生活を送っているのですが、自分でも絶対に忘れる事の出来ない闘病生活の内容についてまたイチから書いていこう、それも長編で、という試みです。

実際のところ、昨年データが全て消失してしまったこのブログ内で一通り書いてはいるのです。そもそも私がブログを運営しようとした大きな要因のひとつは「私の闘病の内容が同じ血液疾患にかかっている患者さんへの行動、心情に少しでも参考になれば」という思いがありました。

そして私自身も、もう絶対に体験しない、したくない経験、今では何とか乗り越えたと信じたい今の状況まで持ってきたことについて、形として残したいというのもあるのです。ですのでもう一度文にすることを決意しました。

惜しむらくは、書いている当初は移植後半年後でしたので、当時リアルな心情をそのまま文にする事が出来ていたと思うのですが、今では若干それが薄まっている可能性があることです。でもしかし頑張って書いてみたいと思います。

血液疾患、その後骨髄移植という流れは人によって色々なパターンがあり、更に事後どのような状況が訪れるかは未知数と言っても良いと思います。私の担当医はとても誠実で親切な方ですが、見込みについては何を聞いても「その人による」という答えしか返ってこなかったものです。

そして、症状が悪化した際には「骨髄移植」という最終手段を選択するかどうか迫られるわけですが、この”成功率”としての指標は「3年以内の平均生存率=約40%程度」という中々ショッキングな数字を提示されるわけであり、そのような理不尽な状況に置かれる人にとっては「少しでもこの気持ちを誰かと共有したい!」という心境になるものなのです。

ちなみに今回書いた平均生存率にちいて「生存期間中央値」という表現で呼ばれています。大きな手術を受ける際の目安として医療従事者からの説明では普遍的に使用されるものです。”余命”なんてワードは医者の口から聞いたためしはない!

生存期間中央値というのは、、、、簡単に説明すると「その集団において50%の患者さんが亡くなるまでの期間」という事になります。例えば既に亡くなった5人のガン患者の集団がいて、その方が無くなった年齢が50歳、51歳、53歳、95歳、98歳であった場合、生存期間中央値は真ん中の53歳という事になります。5人の平均を計算すると70歳くらいなるので、平均値とは乖離があります。あくまで中央の値なのです。

よくバラエティ番組なんかで、不健康そうなお笑い芸人が健康診断を受け、医師から「余命3年の診断!」なんて宣告されるシーンを良く見たりしますが、あれはちゃんちゃら可笑しいシーンですね。医師が提示するのは基本的に総合的なデータであり、自身の主観的に見解は中々語ってくれません。

その人個人に的を絞って、「見込みの生存年数」を語るなんぞ、どう考えてもありえないのです。そもそもそういうのは医師が回答を一番避ける質問です。また適当な番組作りやがって、、、といつも思ってます。

水泳選手の池江璃花子さんが2019年白血病に罹患しましたが、相当な短期間で軌跡の回復を遂げ、移植後から約半年後には競技に参加できるまでに至りました。移植から6年経とうとしている私でさえもまだ温泉に入るのはためらいがあるのですが、半年後に彼女がプールにはいているという事実は衝撃でした。

しかしもちろんそれは彼女の我々の想像をはるかに超える努力があったと思います。ただ、あくまで部外者の推測にはなるのですが、彼女は非常に幸運な条件・環境が揃っていたのだろうなと思います。詳しくを語るつもりはありませんが、状況的にそうとしか思えません。

ただし、ここについては「彼女は実は努力していない」「特別な扱いを受けた」とか、そんな事を言いたいわけではなく、(というかそんなことは思ってさえもいない!)人によって置かれる環境は大きく異なり、彼女以上の試練に遭いながらも必死に闘病生活を送っている人はヤマほどいる、と言うことを今後書いていきたくもあるのです。

もちろん、他のガン治療についても患者側は大変な精神的・肉体的負担を強いられるケースは色々とあると思いますが、とにかく血液疾患は何から何までもや~っとしていて先が見えない!しかも死と隣り合わせの状況になるという実に厄介な病気です。

私の移植までの流れは、実に波乱万丈というか劇的でした。入院日・移植日が決まっていながら急遽中止、ドナーさんが続々と脱落。更には訳あって25キロのダイエット、本来味方であるはずの骨髄バンクへの抗議、、、まあ良く乗り越えられたものだと思います。

でも何とかいい結果が出たのはまずは献身的な妻、優しい親戚・知人の皆さん。そして周囲に素晴らしい医療従事者がおり、SNSでいつも励ましてくれた仲間たち、、、、皆さんのおかけだとつくづく思っています。

特にSNSの仲間には感謝しかありません。これを言っては身もふたもないかもしれませんが。大病治療の苦しさというのは、経験していない人には中々理解してもらうのが難しい!私を好意的に思ってくれている人でもそうそう理解する事は出来ない!

やはり同じ思いをした同志でしか分からない事もあるし、こちらも相手に寄り添えるものなのです。

ガンを乗り越えて私は人生についてどんな思いを持ったか、、、いや、乗り越えたように見えたとしても再発がないとは限りませんし、別の疾患に冒される可能性もあります。人にはいつも試練が待ち受けています。ハッピーな状況、何らかの不調を抱えた状況の方が多いと思います。

それを受け入れるためには

「今の自身の状態に見合ったシアワセを見つけるようにしよう」

そう思えるようになりました。入院中24時間点滴に繋がれ、とてつもない口内炎に悶絶していても「今日は日差しが柔らかで落ち着くなあ」とか「今日は人なつっこい看護師さんが来てくれて楽しく会話できたなあ」とか「小児病棟の患者の子の後姿は可愛いなあ」とか、そんなことに充実感を持てるようになりました。

充実感に形はありません。何千万、何億の大金を得たとしても、何万人の見知らぬ人から喝さいを浴びたとしても、、、今朝の空気の気持ちの良さも「充実感」という点では同じだと思います。そしてその気持ちはいつか自然に消えていくのです。

であるならば、シアワセのハードルを下げれば、沢山の充実感を得られるようになると思うのです。

なんだか宗教家っぽい話になってしまいましたが、まあいいでしょう(笑)次回からボチボチ書いていきたいと思います’。それでは、また。

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