野口五郎 慟哭からポップへの転換

こんにちは、みやけです。今回は昭和歌謡曲について書く回なのですが、野口五郎さんについての私の気持ちを書いてみたいと思います。

このブログでは沢田研二さんのことばかり書いています。私が歌謡曲に興味を持ったのは1977年頃、まさにジュリーの「勝手にしやがれ」がきっかけな訳ですが、以来翌78年から「ザ・ベストテン」の放送が始まったのをきっかけにその他の色々な歌手の歌を聴き始めました。

その中で小学校4年生の私に強く印象付けられた曲が野口五郎さんの「愛よ甦れ」でした。その他も原田真二さんとか渡辺真知子さんとか、好きになったミュージシャンは多かったのですが、以降五郎さんのシングルレコードは1983年「過ぎ去れば時は優しい」までずっと買い続け、今でもささやかながら応援させていただいております。

五郎さんは近年大病を患ったこともありましたが、未だ若々しくお元気で、かつ憎めないちょっとアレな?キャラクターは若いころそのままであり、いつ見ても嬉しい気持ちになります。

以前のブログでは今回の内容と似たものを書いてUPしたのですが、ちょうど一年前全てのデータが消失してしまい、見る事も出来なくなってしまいました。しかし五郎さんの回は私自身思い入れの深い回だったのでもう一度記憶を頼りに書き直そうというものです。

私は五郎さんの人となりやエピソードについてはそれ程詳しいわけではありません。ファンクラブ等にも入荷した経験はありません。ただし個人的なイメージでいくと「気さくな天才」ですね(笑)とにかく若い頃からオヤジギャグが好きでそれをまた言いたがる!で、致命的にセンスが無い!(苦笑)

思い出深いエピソードとして、「19:00の街」が久しぶりにヒットして、数年ぶりに「ザ・ベストテン」に登場した際、例によって小話を披露したのですが、これがまた驚くぐらいスベってしまって、遥か年下のハナタレミュージシャンたちから「何それ?」的な冷ややかな視線を浴びていたのが忘れられません。。。(涙)

しかし音楽センスは超一流!ギターは若い頃から自在に弾いていますし、さらには卓越した歌唱力!、特にどこまでも伸びていく高音の美しさは中々マネ出来るものではないと思います。そして五郎さんの全盛時は1960年代後半から70年代前半あたりでしょうか?「針葉樹」「甘い生活」「私鉄沿線」あたりが代表曲になると思います。

残念ながらレコード大賞の受賞には至りませんでしたが、オリコンではベスト3内の常連。西城秀樹さん、郷ひろみさんらで呼ばれていた「新御三家」の中でも秀でた歌唱力を持っていたと思います。そして私が好きになった「愛を甦れ」はややリリースが低調になりだした頃。私は五郎さんの全盛時を体感していたわけではないのです。

では五郎さんの一般的なイメージはどんな感じのものなのでしょうか?正直な話あの風貌からして「ナヨッとして女性に無碍にされ続けているか弱い男性」というものではないかと思うのです。秀樹さんは強く女性を引っ張る男性であり、郷さんはかわいい男の子、そういう気がします。

しかし、後年五郎さんの全盛時の歌の歌詞を改めて聴いてみると、ナヨナヨ男とは真逆のイメージなのです!マッチョ的と言ってもいい部分もあると思います。あの時代を象徴するタイプですが、兎に角ストーカー的に女性を追いかけ続け、うまくいかないとひたすらこれでもかと一方的に自身の思いを訴える、、、という、、、名曲「私鉄沿線」の歌詞で言うとですね。

改札口で君のこといつも待ったものでした。
電車の中から降りて来る君を探すのが好きでした。
悲しみに心とざしていたら花屋の花も変りました
僕の街でもう一度だけ熱いコーヒー飲みませんか。
あの店で聞かれました君はどうしているのかと。

伝言板に君のこと僕は書いて帰ります。
想い出たずねもしかして君がこの街に来るようで。
僕たちの愛は終りでしょうか季節もいつか変りました。
僕の部屋をたずねて来てはいつも掃除をしてた君よ。
この僕もわかりません君はどうしているのでしょう。

買物の人でにぎわう街にもうじき灯りともるでしょう。
僕は今日も人波さけて帰るだけですひとりだけで。
この街を越せないまま君の帰りを待ってます。

別れた女性に対して、男性側の想いを歌った歌ですが、今見返すと怖いくらい恨み節が綴られています。「こんなに俺はお前の事を思っているのになんで別れやがったんだ!」という、、でもこの時代は特に演歌系はこんな歌詞ばっかりなんですよね。

五郎さんも最初は演歌から出た人だったので、その流れを汲んだのでしょうか?結果ヒット曲を連発したのですからその見立ては正しかったのでしょうけど、上記に私が記した五郎さんの根本的な性格を考えると、全く合っていないような気もするのです。

五郎さんはドリフや欽ちゃんの番組にも出ていたので、私が小学生低学年期でもその存在は何となく知っていました。今思えば、何となくですが「窮屈な歌を歌う人だな」という印象があったような気がします。子供心にですが。

しかし、この「愛を甦れ」の歌詞については、「少年時代」「飛行船」「地球儀」というなんだかピュアで清くて澄み切ったワードが並び、サビは真っ青な広い空に向かって叫ぶようなイメージなのです。それまでの五郎さんの印象とかなり違うのですよね。

私も幼少期の家庭環境は結構”窮屈”で思いっきり甘えられない環境でしたもので、そこがこの「愛を甦れ」の歌詞に無意識にはまったのかもしれません。出だしの部分はそれまでの”五郎節”そのものです、しかしこれまでなら後半から”慟哭”の部分ガンガンかぶせていくのがパターンなのですが。1番の歌詞で行くと「ブティックの~」から急に雰囲気が切り替わり、悲しい思いを振り切って上を向いて肯定的に生きていこうとする、というこれまでには無いパターンの歌なんですよ!

この次にリリースした「泣き上手」は正に”五郎節”満載であり、愚痴の連続ともいえる歌だったのですが、これには私もそれほど気持ちが入りませんでした。しかし次の曲「グッド・ラック」がやはりエンディングがちょっと気持ちを振り切ろうとする爽やかな歌だったので私はその後も五郎さんにについていこうと決めた気がします。

しかし、残念ながらその後の「送春曲」からオリコンベスト10から縁遠くなってしまいます。事務所もこの時期は五郎さんの「転換期」と捉えていたのではないかと思うのですが、曲調がこれまでのような「執念深い」歌ではなくポップで日常生活に焦点を当て、想いをサラリと口にするような歌が多くなってきたと思います。

「真夏の夜の夢」は自身でギターを弾きながら歌うロックテイストな曲でしたが、その次の「女になって出直せよ」からその路線が始まったのではないかと思います。「コーラスライン」「さすらい気分」もその路線に沿ったものだと思いますが、私が五郎さんの曲で最も好きなのは、「女に~」の次にリリースされた「青春の一冊」なのです。

曲としてはかなり地味な内容だと思います。「本」というアイテムにスポットを当て2人の愛の経緯を照らし合わせ、現状を憂うという。。。最後は何かを懇願したり、泣き言をいうでもなく今ある現実だけを受け止め、思い出は思い出として受け入れるという。。。

ここに一冊の本がある君に借りたまま返せない本がある。苦い思い出の文字があるもはや誰ひとりふりむかぬ時がある。

君の人生の何ページかを僕は汚してしまったんだね。ほんと愛してるその一言で君は明かりを黙って消した。一冊の本の歳月の重さ君に借りたまま返せない愛返せない愛がある。

赤いカバーには君のサイン細く青白い指先を想い出す。ついに最後まで読み切れず、ある日気が付けば戻らないひとだった。

本は何度でも読み返せても人の青春は繰り返せない。ほんと愛してる今叫んでも君の素肌は他人の腕に。一冊の本の歳月の重さ。君に借りたまま返せない愛。返せない愛がある。

ちょっと文学的な詞に対して、序盤はとつとつと静かに歌い、サビは一気に感情移入して情緒豊かに、そして表情はあまり崩さずに歌う、、、とっても完成された曲だと思いますし、五郎さんの誠実な人柄にとてもマッチしていると思うのです。

残念ながらヒットはしませんでしたが、こういう日常生活の中から発生する状況について、あまり極端に力を入れることなく、端正な表情のままサラッと歌う歌、というのが凄く五郎さんに合っていると思うのですよね。「執着」というのはあまり五郎さんに似合わず、「肩の力を抜いて、自由に生きる」事が五郎さんの人柄にマッチしていると思います。

歌っている表情にしても、柔らかなほほえみを浮かべながら歌う姿は若者から大人へ脱却する感があり、そのような自分を求めていた私に取ってフィットしたのかも知れません。私のベスト曲ですね、この曲は。

更にこの曲と甲乙つけ難いベスト曲は1981年にリリースされた「ダイヤル177」です。ダイヤル177はNTTの電話天気予報サービスです。恋人に愛想を尽かされた男が新しい愛人との親密な関係を偽装するためこれを利用するという、男の強がりを表現した歌ですね。

奇しくも、このブログを書いている最中「NTTがダイヤル177のサービスを終了」というニュースが入ってきており「野口五郎に許可を取ったのか?」というヤフコメも見受けられましたが(笑)、当時はまだまだそれなりに使用されていたツールではある訳です。

残念ながら動画を見つける事は出来なかったので、音声のみの紹介となります。

お前が別れたいと言うのなら、いいだろそうするしかないだろな。わがままやりたいだけした俺さ、最後は言う通りにしてやるよ

行っちまいなよ荷物まとめて。行っちまいなよ俺が電話を、次の女にしているうちにまわすダイヤル177、天気予報に相槌を打つ。くもり後雨177、どうせ降るなら嵐にしておくれ

受話器を耳にかたく押しあてて向こうに女がいるふりをする。お前が出てゆくのがわかるけどとめたら不幸せのくりかえし

行っちまいなよこれでお別れ。行っちまいなよ俺の恋人。多分今夜もお前の夢さ。手から電話がこぼれてゆく。のびたコードがくるくるまわる。しゃべり続ける177どうせ降るなら嵐にしておくれ

これもまたシンプルですが、とても情景を思い浮かべやすい歌です。そして歌い方もあまり力を入れず展開が早い、更にリフレインも入らず、簡潔に終わってしまっている事もあえてそうしたのかな?と思ってしました。

凄い名曲だと思うのですが、これもヒットには結びつかなかったんですね。この頃は「たのきん」とかジャニーズが勢が大変勢力を拡大しだした頃で、五郎さんがテレビ番組で見る事が出来るのも激減していた頃です。動画も見当たらないのは残念です。

でも「青春の一冊」同様マニアックな歌詞をサラッと歌い上げることが出来る五郎さんのスキルが大いに発揮されたいい歌だなあ、と思う訳ですよ。はじめっからこの路線だったらどうなっていたか?おそらく時代に合わなかったかも知れません。

しかし、自身の身辺が落ち着いてから「自分に見合った歌」の路線に切り替えられたのは良かったのではないか?と思います。ま、私個人の考えですがね。

更には盟友と言ってよかった西城秀樹さんとの関係も大変見ていて心和むものでした。年齢は実は下でありながらも、しょっちゅう五郎さんをイジる秀樹さんに対し、寛容にすべてを受け入れる五郎さん。五郎さんの人柄があったからこそ、秀樹さんはあんなに甘えられたと思います。

秀樹さんは独立後個人事務所での活動だったゆえか、あれだけ大事にしてきた「ハウスバーモンドカレー」のCMをあっさりジャニーズ勢に奪われた時は辛かったと思います。そして病魔に襲われることになる訳ですが、節目節目でなんでも受け入れていくれる五郎さんがいたことはたいへん心の支えになったのでないかと思います。

秀樹さんが天に召された時の五郎さんの対応、その後秀樹さんとの思い出を語るシーンでは秀樹さんの真面目でひたむきな人間性をとても良く分る話し方で語ってくれ、逆に五郎さんの誠実な人柄が感じられました。

あんな形で世を去ってしまった秀樹さんは無念だったと思うのですが、激動の芸能界において五郎さんという、真摯な人柄の人が常に傍らにいたのは心の支えになっていたと思うのですよ。

近年も自分がやりたいこと、好きなことに積極的に取り組んでいる五郎さん、良い晩年を送っているなあ、と心から思います。

と、ここまで書いてきたのですが、私のブログにしちゃあ穏便で、柔らかい表現が多いなあと感じました(笑)でもそれが五郎さんの魅力なのではないかと思います。

私に取って五郎さんは「尊敬」であり、ジュリーは「憧れ」なのです。ただし、五郎さんにあこがれていないわけではなく、ジュリーを尊敬していないわけではありません。文字にするとそれがしっくりくるのですね。

今日はこんなところです。それでは、また。

西城秀樹 遥かなる恋人へ 福岡のファンがおこした奇跡(更新版)

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