こんにちは、みやけです。
今回は昭和歌謡曲に関する企画です。”昭和50年代”に活躍したアイドルについて、そのオリコンチャート(20位以内ランクイン)をすべて調べ上げ、私の個人的見解を挟む、というものです。ま、単に私がやりたかっただけの企画です(笑)
今回調査したのは、沢田研二さん、西城秀樹さん、野口五郎さん、山口百恵さん、桜田淳子さん、ピンクレディーのお二人、キャンディーズの3人、原田真二さんです。
まず、そのくくりとして「昭和50年代」というのがなんとも中途半端かも知れません。西暦での「70年代」もしくは「80年代」という括りがメジャーではないかと思います。ただし私が熱心に歌謡曲を聞いていたのが昭和52年~59年くらいまでであり、西暦で区切ると年またぎになりどうにもぼやけてしまう、というのがそのくくりの理由です。
この時期でいえば、私自身好きな歌手だけでなく、一度でもオリコン30位くらいには入ったほぼすべての曲はチェックしてきており、この期間限定でのイントロクイズに参加するなら相当な好成績を収める自信があります(笑)
さらにチョイスされた方々もあくまで私の個人的好みであり、「この人とこの人が入ってなぜあの人は入っていないんだ?」「この人はジャンル的に違うのでは?」という疑問も浮かぶかもしれませんが、あくまで私の好みのチョイスですのでご了承いただければばと思います。
調査方法ですが、何らかの計算ソフトを使用したわけでなく、某オリコン実績のサイトから手入力で作成しております。(笑)誤入力の可能性もあります。それには20位以内しか記載されていませんので、21位以降は「ランク外」という扱いになります。(発表当時は50位まで記載)
”1週目”の捉えかたはオリコン20位以内に登場した週を起点としており発売日でありません。20位以内にランクインするまで時間がかかった曲はその間の実績は記載されておりません。更に20位以内にランクインしなかった曲はリストから外れています。(沢田研二 メモリーズ等)
また、1位獲得曲には黄色の色付け。2~3位には青の色付けをしております。更には総合的に判断して1983年(昭和58年)以降は調査を行っていません。こんなところです。それでは行ってみましょう!
沢田研二
たまたまリストが2分割することになった訳ですが、奇しくも「ダーリング」での1位を最後に、その後は1位はおろか3位以内にもランクインする曲は無かったのですね。更には「恋のバッド・チューニング」以降はベストテン入りした曲でも初動の上昇の速さがいまいちな感があります。
「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」以降ベスト10ランクインから遠ざかったジュリーですが、このバッチューあたりからレコード売り上げに関してはパワーダウンしている感が否めません。そして遡ると「時の過ぎゆくままに」で自身最大の売り上げを記録しましたが、1975年末の「芋ジュリー事件」以降、売り上げが明らかに苦戦していますね。「勝手に~」で一気に挽回しピークを迎えた印象です。
しかし10年間にわたって、常に「ベスト10常連」として、実績を積み上げてきたのは見事なものです。また「年3曲リリース」のパターンをきっちり守っており、ファンとしたらその都度その都度新曲をじっくり堪能できたと思います。3ヶ月以内に新曲が出ると前の曲がかわいそうなんですよね。。。。「ヤマト」は夏休み中の映画の公開上やむを得なかったようですが。。。
特筆すべきは「勝手にしやがれ」のロングヒットぶりですね。計5週1位の偉業を成し遂げましたが、20位以内には17週ランクインした後次曲「憎みきれないろくでなし」と入れ替わりましたが、年末になり音楽賞受賞において「勝手にしやがれ」が再び歌われるようになると再上昇をはじめ、最高11位を記録したのですね。
まさにレコード大賞効果というのでしょうか?演歌ではたまに見るパターンですが、ジュリーのような高値安定の常連ミューシャンには珍しかった現象ではなかったかと思います。
さらに言えば、ストリッパーは中々順位が上がらずヤキモキしました。この年最大のヒット曲が「渚のラブレター」になってしまうのは納得がいかなかったので。。。でも衣装をジーンズ生地中心のものから、髪を立てゴールド中心のキラキラ衣装にマイナーチェンしたあたりから再度ランクの上昇が始まりホッとした記憶があります。
とにかくこの調査を始める3~4年位前から15年近く歌謡曲のトップに君臨し続けたのは凄いことですね。そしてご存じのように現在でも精力的に音楽活動を行っている沢田研二さん。50年ぶりの1位返り咲き、、、ファンとしては妄想してしまうんですよね~。(笑)
ピンクレディー
実はこの企画を行おうと思ったのは「今まで見て見ぬふりをしてきたピンクレディーに向き合わねば!」という思いからでした。(笑)前々回のキャンディーズに関する回の時にも書きましたが、私はピンクレディーが好きではなかった!
歌詞が男性を下に見るような内容が多かったのが幼き私の正義感を刺激したこともありますが、最大の原因は1978年のレコード大賞において、史上初の2年連続大賞受賞を目論むジュリーから栄冠を強奪したこと!「最優秀歌唱賞!沢田研二さん!」の発表の際客席にいたジュリーの「あちゃー!」という感じの表情が今でも忘れられません。(当時大賞と歌唱賞の同時受賞は不可。そのため歌唱賞受賞ということは大賞受賞は無し、が確定)
以降、最近に至るまで私はピンクレディーについて存在を否定したい気持であったことは否めません!しかし昭和歌謡曲マニアを偉そうに名のるであればピンクレディーの実績についてちゃんと向き合わねば!と考えこの企画に至った次第なのです。
そして実績です!リストを見てもらえればお分かりのように、1977~78年の実績は素晴らしい、というか驚異的です。77年に新人賞を受賞しますが、大賞でもおかしくない実績です!「渚のシンドバット」は「勝手にしやがれ」と熾烈な1位争いを行っていたんですよね。
そして特筆べき点は、どの曲も相当なロングヒットになっている点。出す曲出す曲すべてが20位以内に15週以上ランクインしています。イメージ的にはリリースした曲がベスト10から落ちるのと入れ替わると同時に新曲がランクインしていた印象です。
後年、特にジャニーズ関連の歌手がリリースした曲は初登場1位が普通。しかし4週目くらいからは早くもランクダウンが始まり、10週も立たないうちに20位以内からも消える、というパターンが常態化していただけに、このように長期に渡って売れ続けたのは素晴らしいと思います。
思えば、彼女たちを支えていたのは主に小学生であったと思います。そしてそれまでのアイドルのターゲットは中~高校生ではなかったかと思います。ターゲットを少し落としてみた結果市場を独占する形になったのではないでしょうか?
問題の1978年にしてもジュリーとピンクレディーの実績を比較すると、ピンクレディーの優勢は歴然なのですよね。むしろこの実績でジュリーが「大賞受賞最有力候補」となっていたのはおこがましかったのかも?しかし当時のレコード大賞はレコード売り上げだけでなく色々な項目を加味していたと思います。芸能情報じゃあ、格的に沢田研二絶対有利って言ってたんですが。。。(涙)
話は全く変わりますが、同時期のプロ野球において、1978年中日ドラゴンズの大島康徳選手が一塁手として巨人の王貞治選手の各部門の成績を大きく上回るような成績を挙げながらもセリーグベストナインの選出から漏れ、マスコミから「王選手はプラス人徳があるから」というような苦しい説明が関係者から流れ、「では、大島選手の人徳に問題があるのか?」とマスコミから突っ込まれたのが思い出されます(笑)
それまでレコード大賞受賞者においては「子供向け」の曲の受賞は無かっただけに、選考する側はピンクレディーをチョイスするには勇気がいったのかもしれません。でもやはり色々と大人の世界の鬩ぎあいが相まって受賞となったのかもしれませんね。
1979年以降は急速に失速してしまいましたが、2年間の実績は大変なものだったと思います。そして今聞き返してみても歌もうまい!ケイちゃんのややハスキーな低音とミーちゃんの声量たっぷりの高音のバランスは素晴らしいと思います。
これまで見て見ぬふりをしてきましたが、改めて実績を見ると素晴らしい結果を残した2人だったんだな、と今更ながら思いました。これまでの非礼を深くお詫びします。
ピンクレディーは素晴らしい歌手でした!レコード大賞受賞は当然でした!
山口百恵
「ひとなつの経験」で一気にメジャーの仲間入りを果たした百恵ちゃん。少女と成人女性の中間のようななんともミステリアスな雰囲気が彼女の魅力だったと思います。そして「横須賀ストーリー」で硬派なイメージもあることを明示。リストを見ても明らかなように安定してヒット曲をリリースしていたと思います。
ただし、1976年前後の彼女の歌はドラマ「赤いシリーズ」と連動していたがためか、リリースのスパンが短い!1年に4曲平均で新曲を出していますね。この流れだとロングヒットは中々厳しかったかもしれません。
私は百恵さんも好きな歌手の一人でしたが、一番印象深かったのは現役最後の曲「さよならの向こう側」が今一つランキングが上がらなかったことです。この曲、百恵さんのラストを飾るにふさわしいとても素敵な曲だったと思います。キャンディーズの「微笑みがえし」が3人最大のヒットになる、という感動的なエンディングを迎えてためにその状況を期待するファンが多かったと思うのですが、、、
リストにもありますように、オリコンの順位はなかなか上がらず最高位は4位。ザ・ベストテンでの最高位も3位でした。ベストテンでは司会の久米宏さんが百恵ちゃんをひいきにしていただけに、順位の上昇率がスローであることについて「まだこの順位かあ~」的な微妙な表情をしていたのが印象的でした。私も「有終の美を飾らせてあげたい」と強く思っていましたが。。。
現役後半の頃の百恵ちゃんの曲は「愛染橋」「謝肉祭」等内容がやや難解であった印象があります。そんな歌を歌いこなすのが彼女の魅力だったと思うのですが、時代がそのことに味方をしなかったのかも知れません。
三浦友和さんと幸せな結婚をされ、その後全く表舞台に姿を現さなかった百恵ちゃん。ミステリアスで”大人の女性”のイメージが強い百恵ちゃんでしたが、個人的には歌番組で結構おちゃめな笑顔を見せていたのが印象深かったです。いじられるのも嫌ではなかったように思えました。キャラクター的に砕けた表情は見せずらかったのかもしれませんが、孤高な感じはせず、温かい雰囲気を持った女性、という印象でしたね。
桜田淳子
後々の新興宗教入信問題により、その存在さえも無かった事になってしまっている感の淳子ちゃん。確実に一時代を築いた歌手だと思うのですが、昭和歌謡ブームの昨今でさえも中々彼女の歌を大々的プッシュしよう、という試みは行いにくいようです。
私の彼女の印象は特に強いものではなく、好きでも嫌いでもなかったのですが、全員集合によく出演されていたので親近感は持っていました。ヒット曲としては「わたしの青い鳥」のイメージが強いですが、ランク的にはそうでもなく次曲「花物語」から連続的にヒットを飛ばすようになったようですね。
イメージ的には「十七歳の夏」と「夏にご用心」の印象が強いかと思います。同期の山口百恵さん、森昌子さんとで「花の中三トリオ」として呼ばれることもありましたが、百恵ちゃんと比較すると「一枚下」的な比較をされるようなことが多かったと思います。
しかし、リストをチェックすると、1975年の実績においては百恵ちゃんより上だったのではないかと思うのです。76年、77年もそれなりにヒット曲を飛ばしており決して2人に大きく差がついていると思えな百恵ちゃんはドラマ、淳子ちゃんは歌番組・バラエティと住みわけがされていたと思います。
私が本格的に歌謡曲を聞き出した1977年あたりから「大人の女性」への脱却を図っていたようです。「しあわせ芝居」はとてもいい曲だったと思いますね。中島みゆきさんの作品ははまっていたと思いますよ。「リップスティック」あたりもいい曲だと思いますが次第にじり貧になってしまっていました。
彼女はもともと女優志望だったそうですから、「なにがなんでも絶対売れてやる!」的な某●子ちゃん的なギラギラしたものは感じられず、なんだかふわふわとした印象の人でしたね。しかし全員集合での志村さんとの夫婦コントはとっても面白かったですが。。。。
あと、東北出身を打ち出していたので、井関農機のCMでジャンボ鶴田さんと共演し、「やっぱり早苗(トラクターの名前)だべさ~」と訛りながら笑っていたのが印象的でした。
西城秀樹
秀樹さんもジュリー同様1983年以降も20位以内にランクインした曲はたくさんあるのですが、打ち切らせてもらっています。秀樹さんが出だした頃は私はリアルタイムで体験していないですが、「情熱の嵐」でメジャーになった印象ですね。「君が望むなら~」と歌って、ファンが「ヒデキ~!」と返すノリは良くコントでも使われていました。
とにかく秀樹さんの歌は歌詞のワンフレーズに強いインパクトを持つ歌が多い!「激しい恋」での「やめろっと言われても、今では遅すぎた!」(これもドリフでカトちゃんがよくマネしていた!)や「傷だらけのローラ」での「ローラ!」の絶叫、「ブーメランストリート」での「ブーメラン」の絶叫!そして激しいアクションの第一人者の歌手だったと思います。
そしてリストを見てもわかるように1976~78年あたりを大人への転換期と捉えていたのか「ラストシーン」や「ジャガー」といった意味深な曲が多くなります。それに並行してかランキングもやや落ち着いてきていますね。
そして、最大のヒットとなった「ヤングマン」は原点回帰といったところでしょうか?しかしこの曲のはやりっぷりは凄かった!私の通った小学校でも昼休み時間にこの曲が全校放送で流れ、皆でYMCAを踊っていたのです。
今ではなんでもいないことかもしれませんが、当時は「学校で歌謡曲が正式に流される」なんてことはあり得なかったのです!少なくとも私の通っていたエリアでは!。「泳げ!たいやきくん」等の童謡は別ですけどね。
今ではSMAPの「世界で一つだけの花」を幼稚園で皆で歌っていたなんて話を聞くと隔世の感があります。「神聖な学校にはやりものを持ち込むなんてもってのほか」という時代だったんですよ。いくらピンクレディのUFOが流行っても、全校放送でそれが流れて皆で踊る、というのは発想さえもなかったのです。
そのような時代でしたから「ヤングマン」が全校放送で流れたのは衝撃でした。「歌謡曲なのにいいの?」という。でもそれだけ大人をも納得されるこの曲のクオリティと長年頑張ってきた秀樹さんへの信頼があったのかな?と思っています。
個人的には1981年の「~ガール」3連発は何だったんだ?と当時も不思議に思いました。あと百恵ちゃん同様曲のリリースの期間が短く、1年に6曲新曲を出した年もありました。(1980年)あの時は曲を思い返すのに苦労したものです。このあたりはやはり新曲の印象が薄くなったな、という印象はあります。
ただし1984年以降も「ギャランドウ」「抱きしめてジルバ」「腕の中へ」等メジャーなヒット曲があるのはジュリーファンとしてはうらやましかったりもします(笑)
野口五郎
ブログでも1本特集したように、私がジュリーの次に好きなのが五郎さんであります。私は五郎さんの全盛時である「甘い生活」や「私鉄沿線」の頃は体感していないのですが、秀樹さんと対等な実績を残していたと思います。
いや、逆に確実に3~4位を記録していた1975~77年あたりの実績は秀樹さんより上だったかもしれません。しかし前2曲+「針葉樹」以外はどうにも一般的なイメージが薄い!ファンの私も正直他の曲は歌詞がごっちゃになるのです。
リストを吟味してみるとですね、初動はいきなりベストテン入りすることが多いのですが、ランクが落ちるのが早すぎるんですよ。8~9週くらいで20位から消えているパターンが結構多い。。。歌の内容としてはロングヒットになっていいはずの曲が多いのに、、、あまりファン以外の人を巻き込めなかったのかな?という気もします。
五郎さんも1978年あたりからイメージチェンジを図ってきますが、いまいち話題にははなりませんでしたが「真夏の夜の夢」は五郎さんのギター演奏の達者な部分を堪能できる名曲なのです。コロッケがあんないじりかたをするとは。。。。
ただし、個人的には1978年あたりからのやや砕けた感じの曲の方が好きですね。やや天然な部分がある方なのでいじられることも多いですが、音楽的才能については”天才”のカテゴリに入る人だと思います。。更には高音の美しさは秀悦だし、歌もうまい。あまり硬派の歌を歌うと聞く側が身構えてしまうんですよ。
ヒット曲を連発している際は「コーラスライン」のような聞く側を巻き込む歌も歌ってほしかった気がします。私は五郎さんがランキングの上位にいるのを体感できなかったので。。。
しかし、お年を召されてからもマイペースで自分のやりたいように音楽活動に取り組まれている五郎さんは素敵だな、と思います。相変わらず滑りっぱなしの親父ギャグも衰えていませんし(笑)
キャンディーズ
キャンディーズについては、前々回1本使って書きましたが、ランキング的にはそれほど上位に食い込むことは無かったようですね「春一番」でよやく3位をGETし,それからトップアイドルの扱いを受けるようになったようです。解散発表後発売の「わな」から改めて再度人気が上がってきていた印象があります。
私はまだ小学校4~5年でしたが、かなり抜き打ち的に解散を発表していたにも関わらず、世間は「幸せな門出が作れれば」といった感じで終焉を後押ししていた印象があります。「微笑がえし」で初の1位を取った時にはやはり私もうれしかったですね。
キャンディーズの歌って今聞いてもリズムが色あせないんですよ!現在進行形でも某メジャー企業のCMで「年下の男の子」のメロディが使用されていますが、自然な感じだし当時を知らない人は気が付かないんじゃないでしょうか?
「春一番」とか「暑中お見舞い申し上げます」などにも見られるように彼女たちの歌は「元気をなくしている人に対して柔らかく背中を押してあげる歌」が多いなという気がします。皆スタイルがいいので衣装もミニスカートが多かった印象ですが、あまり男性に媚びているイメージはなかったですね。
むしろドリフや伊東四朗さんとのコントでは相当酷い目に逢いながらも、めげずに、それどころか全力でやり返したりもしていたので「芯が強そうな人たちだったな」という印象です。カトちゃんと一緒に禿ヅラかぶって酔っ払いサラリーマンのコントしてましたからねえ、、、志村さんはジュリーが相棒でしたが、カトちゃんはキャンディーズが相棒の印象でした。蘭ちゃんは相変わらずお美しいのも素敵ですね。
原田真二
冒頭に書いた「この人はジャンル的に違うのでは?」が正に原田真二さんなわけです。(笑)こればっかりは私の好みですので強行させていただきます。本来原田さんは当時の言葉でいえば「ニューミュージック」という括りに入っていたと思います。松山千春さん、アリス、中島みゆきさんらとともに。
しかし、そのあまりにかわいらしい風貌から、アイドル的扱いを受けていたのも事実ですね。しかし彼もまた”天才”のカテゴリに入る人であり、後年の作曲活動は音楽界に大きな影響を与えています。
「てぃーんずぶるーす」「キャンディ」「シャドーボクサー」の3曲同時デビューリリースで話題を集めましたが、私的には「タイムトラベル」や「サウザントナイツ」のような激しいロック調の曲をピアノを弾きながら歌っていたのは衝撃でした。
それまでにもピアノを弾きながら歌う歌手はいるにはいましたが、基本的に歌う歌はバラード的な聞かせる歌であり、原田さんのようにエレキギターに合わせながらピアノを弾いて歌う人がいるのは衝撃でしたね。特に「サウザントナイツ」は知名度は低いですが今聞いてもかなりいい歌です。
「タイムトラベル:で一定の評価を得て、それから更にステップアップしていく感がありましたが、それからのランクは振るいませんでした。wikiにもそれとなく記載されていますが、当時から「態度がでかい」「大口をたたく」等の噂は私もちょくちょく耳にしていました。
私は今現在も原田さんのファンですが、ご当人の性格の深い部分は良く分かりません。でも芸術家的性分が強い人のようですから、関係者におべんちゃらを言うようなことはできず「音楽をうまい事商売につなげる」ような事はしなかったのかな?という気がします。
後年発表した「Love Operator」や「君にもっと近づきたくて」はかなりの名曲なのですが、ランキングの上位に上がってくるまでには至らなかったのは残念でした。
今回の企画はこんなところです。いかがでしたか?それではまた。
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