こんにちは、、みやけです。今回はプロレスの話です。全日本プロレスで1980年代にエースとして活躍したジャンボ鶴田さんにスポットを当ててみたいと思います。2回に分けての掲載となります。

私はこのブログでプロレス(特に全日本プロレス)の事について色々書いていますが、歴代にエースレスラーの中でもジャンボの事はかなり好きなのです。天龍や三沢・小橋より思い入れがあり、「馬場さんの次に好きだ」と言っても過言でありません。
しかし、これまでこのブログで丸々1本ジャンボの事を特集した事はありませんでした。それは何故かと言うと、彼のレスラー人生の中に劇的な部分が一見少なく中々面白い内容に仕上げる自身が無かったからです。
ただし逆に温存していたと言っていいかもしれません。ジャンボはちょうど私がプロレスを見始めた頃にグングン頭角を笑わしてきました。しかしその反面中々大一番で勝利することが出来ず。「善戦マン」はまだいいとしても「真剣度合いが足りない」「緊張感が無い」「人真似ばかりしている」と揶揄されていました。

しかし実際のところは、デビュー以来ただの一度もランクが下がることもなく、且つそれに応じたクオリティの試合をキープし常時メインイベンターの地位を確保してきた稀有なレスラーと言っていいと思います。
藤波が猪木を抑えその日の興行でメインを張るのはずいぶん時間がかかりましたが、ジャンボはデビュー1年経っていない1974年サマーアクションシリーズ2の最終戦後楽園大会。ドリーとメインでシングルで激突し名勝負を展開。早くもトップレスラーとなった事を周囲に明示しています。
ただしあまりにもレスラーとして早熟であるのと、感情を出すのが苦手であったため(というかピントがずれている)、ファンにはその凄さが理解されにくかった部分がありますのね。馬場との初の一騎打ちで放ったドロップキックの高さなんか芸術的ですよ。ほぼ助走なしで御大の顔に足が届いているんですから。その身体能力は正にオリンピック級だったと思います。

「そこそこできるのにそれは評価されず、常に小言を言われている」それがジャンボのイメージです。そして誠に恐縮なのですが、そのキャラクターというのはなんだか私と似ているんですよ。ま、親との関係性ですが(笑)。それもあってか私はジャンボについて非常にシンパシーを感じ応援してきたのです。ジャンボに「失望」したことなんぞ一度もありません。
なので思い入れの深いジャンボに対してはジックリ時間を取って書かなければ、という意識があってここまで来たのです。そして、代わりにという訳ではないですが今回はジャンボのフィニッシュホールド(必殺技)について検証してみたいと思います。
「ジャンボ鶴田の必殺技と言えばバックドロップ」というイメージなのでしょうけど、実際にそれが定着したのはデビュー後10年近く経ってからあることをきっかけで多用するようになってからであり、天龍ほどでないにしても、 長年必殺技の固定化には迷走していたのです。

ここでは、「シングルマッチ」に絞って、ジャンボのレスラー人生の中で、どんな技をフィニッシュとしてきたか、時系列を追って検証してみたいと思います。参考は某サイトですが、シングルの全てを網羅できたわけではありません。多分6~7割くらいだと思います。ビッグマッチは大方抑えてはいますが。
それから、3本勝負のシングルの1本目、2本目のフィニッシュもカウントしています。念のためお伝えしておきますと、タッグでのフィニッシュは含まれていません。それでは進めていきたいと思います!
① ジャーマンスープレックスホールド

デビュー当時は「4大スープレックスを使う男」がキャッチコピーだったジャンボ。確かにダブルアーム・サイドは試合の流れで頻繁に使用していましたし、フロントも勝負所で使用していますね。インタータッグ戦でのドリーへの一発が印象深いです。
しかしジャーマンについては個人的には「そんなに使っていたっけ?」という印象です。ただしデビュー直後のインタータッグ挑戦でテリーから1本とったのは鮮やかでしたね。しかしその頃は私はまだ全日本プロレス中継を見ていなかったんです。とりあえず、シングルマッチでの使用歴を抽出してみました。
・1974年 新春ジャイアントシリーズ カール・フォン・スタイガー戦で使用。
・1975年 サマーアクションシリーズ テッド・オーツ戦で使用。
・1977年 エキサイトシリーズ バーン・ガニア戦(試練の10番勝負)で使用(2本目)
・1978年 サマーアクションシリーズ キム・ドク戦で使用(2本目)
・1980年 チャンピオンカーニバル決勝 ディック・スレーター戦で使用。
・1980年 スーパーパワーシリーズ NWA世界王座戦 ハーリー・レイス戦で使用。 (1本目)
なんと、この6回だけなのです!これについては調査の取りこぼしがあったとしてもせいぜい1回程度だと思います。使用頻度としては年に1回あるかないかですから、猪木さんの卍や馬場さんのランニング~に比べて著しく低いですね。
そして、レイスとのNWA戦を最後に”封印”しています。この一発は画像にもあるように相当な角度で投げたジャーマンであり、受け身の下手なレスラーであったら大怪我をしていたかもしれません。なんとか受けきって王座も防衛したレイス親分が「なんて角度で投げるんだ!」と試合後控室に殴りこんだとされる因縁の一発ですね。

ジャンボは後年「危険な技だし、相手に怪我をさせたくないから、、、」と語っていましたが、やはりこのレイスから激怒された事がトラウマ(!)になっていたのでしょうか?
まあ、それもきっかけの一つだったかもしれませんが、そもそもジャンボはジャーマンにそれほど思い入れはなかったような気がします。後述しますが、若い頃気に入っていた技はダブルアームスープレックスとジャンピングニーパットだったように思います。理由は後述します。
ジャーマンって難易度が高いわりに技が決まった瞬間は自分の顔が相手の身体で隠れてしまうので、大見えを切れず、意外とそれが理由で全日本でファイトしていたレスラーの使用頻度は低かったように思うのです。

そもそもジャンボはずっとアマレスをやってきたわけではないので、スープレックスも「プロレスの技のひとつ」という認識だったのかも知れません、ではなぜ”大一番”の1980年チャンカンでスレーター相手に2年ぶりに炸裂させて悲願の初優勝を飾ったのか。。。。
これから先は、プロレスの仕組みの突っ込んだ話になるのですが、この時期御大はジャンボにエースの座を譲るなんてサラサラなかったと思います。しかし2年前にトーア・カマタに虎の子PWF王座を奪われ、体調不良が顕著になり、興業的にエース交代ならずともジャンボのレスラーとしての底上げは迫られていたと思います。

翌1981年は新日本との全面戦争が勃発し、経営不振から日本テレビから役員が送り込まれます。しかし御大としてはジャンボの格上げの必要性は感じながらもあまりやりすぎると、自らの首を絞めかねない、と思ったのではないでしょうか?
1980年のチャンピオンカーニバルは、ブッチャー・キャンディ・スレーター・デビアスと“それなり”のメンバーをそろえながらも更に人気絶頂期のテリー・ファンクを投入しました。全日本的にはそれほど追い詰められていたのかも知れません。ただでさえブッチャーに依存し過ぎだと陰口をたたかれていたのに。
しかし、鶴田が決勝で破ったのはテリーでもブッチャーでも馬場でもなく、スレーターなのです!ここが馬場の狡猾なところではないかと思います。上記3人の誰かに完勝してしまうとおのずと3人とジャンボの格が同じになりかねません。

ですので、元々格的には鶴田より下であったスレーターを無理やり?決勝戦の相手に仕立て上げて勝たせたのではないかと思うのです。テリーを参加させたのは、馬場・ブッチャーが決勝に残れなかったマイナスイメージを緩和させるため。
スレーターはカマタと同じく「得体のしれない初物」であり、「トップ3が潰しあって討ち死にした間隙を縫って獲得した優勝」のようなイメージを狙ったのではないかと思います。ジャンボ優勝を報じた専門誌は「いよいよジャンボ時代到来!」とはやし立てましたよね。私はかつてスレーターのファンでもあったので喧嘩番長を貶めるのは忍びないのですが。。。
しかし、翌スーパーパワーシリーズ、レイスから世界王座奪取にまたも失敗してからは、その期待もしりすぼみになってしまいます。もしかして、その時のレイスへの強烈ジャーマンはやはり永遠の2番手を強いられることになったジャンボなりのはかない抵抗?だったりして。。。

結局、ジャンボは1982,3年に”鉄人”ルー・テーズからの指導の下にバックドロップをフィニッシュホールドに選択することになります。
② ダブルアームスープレックス

1970年代のジャンボが普遍的にフィニッシュとして使用していた技です。日本デビュー戦でムース・モロウスキー相手にこの技をフィニッシュにしていますし、翌シリーズ開幕戦の蔵前セミのミッキー・ドイル戦でも(セミなのに凄いしょぼいカード!)やはり使用していますので、いったんはこれで行こうと思ったのでしょう。

ジャンボのそれはロビンソンの人間風車と大きく異なり、投げる前に一旦”タメ”を作ってから、比較的ゆっくり目の速度で大きな円を描いて投げます。いわゆるドリー式の「大会場の隅のお客さんにもよく見える」投げ方だと思います。
もうひとつ言えば、投げる瞬間館内全体に顔を見せ大見えを切ることが出来るのも好んだ理由かもしれません。
それ故流れがもっさりして見た目の破壊力的にはイマイチの間があり、だんだんシングルでのフィニッシュで使用していかなくなった大きな理由かと思います。

シングルで葬ったレスラーをあげると、前2人のほか、ボブ・オートン、ジェリー・ブリスコ、ザ・ビースト、ラリー・シャープ、スーパーデストロイヤー、レイス、大木金太郎、カール・ファジーといったところです。
しかしタッグでなら、1980年代でも4,5番手のしょぼいレスラー相手でもこれで決めてましたね。ヒューゴ・サビノビッチとか。。。やはりそれなりの腕力が必要な技ですので、ハンセン・ブロディ・ゴディ・ウォリアーズあたりのスーパーヘビー級を投げた記憶はないですね。
③ 回転エビ固め

実は私がプロレスを見だした頃「ジャンボの必殺技」として一番印象深いのがこの技なのです!必殺技というか意表を突く技なんですけどね。
もっとも記憶にあるのが、場外乱闘からリングインしようとエプロンに立つジャンボ、すると先にリングに戻っていた相手レスラーがボディへの頭突きで攻撃を加えようとする。しかし相手の頭が腹に刺さる瞬間ジャンボはトップロープ越しにジャンプし、そのまま回転エビに決める、というパターンです。
今ではありきたりの攻防かも知れませんが、当時はこれは説得力のある決まり方だったんですよ!でも小林邦明あたりからやりはじめたと思うのですが、両ひざで耳をチョンと挟んだらロックを外してしまうムーブは興ざめでしたね~。
この技で葬った相手としては数多くおり強豪をあげると、ザ・バラクーダ、テリー・ファンク、カリプソ・ハリケーン、ビル・ロビンソン、ドン・ムラコ、ワフー・マクダニエル、キム・ドク、ディーン・ホー、ハーリー・レイス、テッド・デビアス、ジミー・スヌーカといった猛者ばかりです。
そして興味深いのがチャンピオンカーニバルにおいての対日本人中堅選手相手にこの技を連発している事です。例を挙げると
・1976年 グレート小鹿戦
・1976年 高千穂明久戦
・1978年 ロッキー羽田戦
・1978年 グレート小鹿戦
・1978年(日本リーグ戦) マイティ井上戦
・1979年 ロッキー羽田戦
・1980年 ロッキー羽田戦
・1981年 大熊元司戦
・1982年 マイテイ井上戦
テーマの趣旨とは逸れますが、これ以外にも、首固め・エビ固め等のいわゆる”丸め込み”系で勝利するパターンが非常に多いのです。そして結構な頻度で20分を超えるロングマッチになっている事です。
対照的に御大は回転エビ固めはもちろん、チャンカンでの中堅日本人相手的でも”丸め込み”で勝つことはほぼなかったですね。ちなみに1981年のチャンカンでの御大とジャンボの対日本人中堅の試合結果を比較してみます。
馬場(1981年チャンピオンカーニバル)
対 石川 7分38秒 エビ固め(16文)
対 小鹿 17分55秒 片エビ固め
対 羽田 8分20秒 片エビ固め(16文)
対 大熊 13分43秒 片エビ固め(16文)

鶴田(1981年チャンピオンカーニバル)
対 石川 20分55秒 片エビ固め(体入れ替え)
対 小鹿 21分57秒 エビ固め
対 羽田 23分31秒 首固め
対 大熊 22分15秒 回転エビ固め
ジャンボは前年優勝者でありながら、4中堅にいずれも苦戦。「相手の良さを引き出した」という見方もあるかもしれませんが、決まり手もいずれも切り返し技であり、「きわどい勝利」のイメージは否めません。逆に御大は平均10分前後の試合時間で、素っ気なく?16文でフィニッシュしています。
1981年と言えば、もう馬場も43歳であり、体力的に厳しくなって来た頃、ジャンボと試合内容を照らし合わせるのは酷かもしれません。しかし伸び盛りの石川相手に7分少々で終わらせたのはあんまりかな?と思うのです。
ただしかし、グレート小鹿には両者共苦戦の跡が見えるのが面白い所です。既に見限られ始めていた羽田にも20分越えという。。。そしてこれを新日本の猪木・坂口と比較してみますと。。。実は猪木・坂口が木戸・永源クラスの中堅と一通りあたったのは1975年の第二回ワールドリーグ戦のみなのです!抽出してみると。。。
アントニオ猪木

対 永源遥 6分24秒 コブラツイスト
対 星野勘太郎 10分16秒 ジャーマン
対 山本小鉄 11分1秒 弓矢固め
対 柴田勝久 7分52秒 体固め
坂口征二

対 永源遥 10分6秒 体固め
対 木戸修 8分37秒 片エビ固め
対 星野勘太郎 14分7秒 片エビ固め
対 山本小鉄 9分52秒 片エビ固め
対 柴田勝久 10分13秒 体固め
※参考資料 ミック博士の昭和プロレスマガジン44号
流石に両者とも星野勘太郎には敬意を払っている感があります。しかし全体的にはあっさり下している感はありますね。ただ、この時期はまだ新日本も「猪木に健闘する中堅」を演出する余裕はなかったと思います。如何に猪木さんが強いか?を打ち出していかなければいけない時期だったでしょうし。
時代背景もありますし、この1年の資料で判断するのは早計かとは思います。ただ何となくですが、「普通に」試合しているように見えますね。御大と傾向はそれ程変わっていないように見えます。
話を戻すとではどうしてこのような結果が続いたのか?やはり特に小鹿・大熊・高千穂・羽田といった”小姑のようなうるさ型中堅”に完勝してしまった後の、彼らの立場を慮ってこのような形になったのかな?と思います。御大の「いいカッコする」癖は至る所で語られていますしねえ。
1976年のチャンカンにおいては小鹿相手に28分43秒かかって回転エビで薄氷の勝利。何かが狂えば時間切れ引き分けだったわけです。小鹿相手に。。。。

しかし、この「明らかに格下の中堅でも長時間戦っての回転エビ決着」はジャンボの”善戦マン”キャラからの脱却を妨害した感がありますね。しかし1981年のチャンカンのジャンボの扱いは酷いですよ。前年優勝者なのに最終戦はブッチャーとセミで対戦。これでは「ジャンボの優勝はない」と明示されているも同然じゃないですか!
大変脱線しましたが、こんなところです。
④ ジャンピングニーパット&ダイビングニー

ジャンピングニーはジャンボのデビュー当時の代表的な技であり、攻勢に転じた時最初に出す技の印象がありますね。しかしフィニッシュに持って行くにはちょっと軽いというイメージもあります。
新日本ファンからすれば「坂口の真似」となるのでしょうけど、私は逆と思っていました。実際はジャンボが坂口に憧れ拝借したようですね。しかし、卓越した跳躍力を持つジャンボに大変似合っていた技だと思います。正直世界の荒鷲より似合ってます!
そして「軽い」ながらもフィニッシュとして使用したケースもいくらかはあるのです。1975年のスーパーパワーシリーズではフリッツ・フォン・エリックから1本取り、チャンカンではブル・ラモス、大熊・小鹿・クツワダから勝利。更にはUN戦においてスミルノフから3本目奪取。1982年にはクラッシャー・ブラックウエルからフォールを奪っています。
この技が出ると、日本テレビの倉持アナウンサーは必ず「あごの先端にヒ~~~ット」と叫んでいましたが、実際は相手の肩とか胸に当たっている場合が多く、見る側の衝撃の度合いとしては今一つなんですよね。

そのあたりを考えたのか1980年代からは、トップロープポストに上って相手にダイブしてニーを落とす、いわゆる「ダイビングニーパット」を使用するようになります。
この技はまず1979年最強タッグ”夢の対決”でフランク・ヒル相手に初披露。その後UN戦においてブッチャーに2回、ロビンソンに1回、更にはチャンカンでレイ・キャンディに放っています。1983年くらいからしばらく使用しませんでしたが、その後1986年のテリー・ゴディとのインター戦で再披露。ゴディから初フォールを奪っています。

そして、この直後の武道館での対ジャパン軍6対6対抗戦でもアニマル浜口相手に放っています。(フィニッシュは空中胴締め落とし)急に連続で使ったことで「これはサブ的な必殺技として使用していくのか?」と思いましたが、その後はあまり出しませんでした。
やはりこの技は、どうしても相手が立ち上がるのを待ってから飛び込む、という流れの為間延びしてしまう感があるのですよね。その後天龍と闘うようになると、このようなもっさりした技は受けてくれなくなった感はあります。それに対して流石のジャンボもこの技をバージョンアップさせた感がありますね。

フットルースや超世代軍相手の際は相手の顔面や顎にモロに膝を当てたり、のしかかるように額に膝を突き刺したり、かなりエグイ技に変貌させていました。菊地へのエビぞり逆エビとか三沢・川田への顔面エルボーとか、ジャンボがやるとオーソドックスに技でも必殺技になり得る、という事を見せつけてくれましたね。
ただまあ、個人的にはデビュー当時のジャンボのジャンピングニーの方が思い入れがありますね。ジャンボは平成元年頃から「オーッ!」と茶化されだしましたが、実際は「ウォ~~ッ!」だと思うんですよ。ベースのバージョンは(笑)
相手にジャンピングニーを放ち、着地すると頭をかきむしりながら両手をこぶしにして「ウォ~~ッ!」と叫んでおりました。ジャンボ流の気合の表現だったのでしょう。最初はそれを茶化されていたのを自分から言う事によって、うまい事変換できた感がありますね。「オリャ」をそのまま受け入れてしまった谷津とは明らかに差がありましたよ。

今日はこんなところです。後編はバックドロップ、空中胴締め落とし、それから2つくらいの技を書く予定です。
それでは、また。
