こんにちは、みやけです。今回は昭和プロレスの話です。私自身が見たプロレスの試合の中でのベストマッチは何か?というベタなお話からプロレスとは何ぞや?という話まで掘り下げて書いてみたいと思います。以前にも書いた内容から始まりますが、それからかなり加筆したいと思います。
私が挙げるベストマッチ!これぞプロレスの試合!そう思うのは1987年11月21日・全日本プロレス世界最強タッグ決定リーグ戦。開幕戦の後楽園ホール大会のメインイベントのリーグ戦30分1本勝負!
ジャンボ鶴田&谷津嘉章 対 アブドーラ・ザ・ブッチャー& TNT 戦です!
受けを狙っている訳でもなく本当にそう思うのです。普通であるなら猪木xロビンソン戦とか、猪木xドリー戦、馬場xエリック戦、長州x藤波戦あたりを上げるでしょうね。あえて言うなら単純に技の攻防だけで言ったら最初の方の鶴田x天龍戦かもしれないのですが、やはり上記の鶴田組対ブッチャー組の試合なのです。ブッチャーが全日本に久々に復帰して大歓声を浴び思わずジャンプした試合ですね。
私は試合中の技の攻防よりも「想定外の流れから偶然生み出されたワンカットもしくはシーン」を見ることに重きを置いているからそんな思いになるのでしょうね。この試合はプロレスを見るにあたって実に色々な要素が積み重なり、多種多様な見方が可能な実に面白いシーンなのですよ!まずはこの時の状況を振り返ってみましょう。
全日本プロレス設立以来エース外国人を務めてきたアブドーラ・ザ・ブッチャーは1981年春にアントニオ猪木率いる新日本プロレスの誘いに乗り戦場を新日本に変えます。全日本マットには2度と登場しないと思われました。しかし猪木との戦いはスイングせず、徐々に扱いが悪くなり1985年1月の来日を最後に契約を切られてしまいます。
そのまま日本マット界から消えるかと思われたブッチャーでしたが、1987年夏、長州率いるジャパンプロレスが内部分裂して解体、大半のレスラーが新日本プロレスに復帰してしまい、全日本プロレスはメンツが一気に手薄になります。NO2の天龍源一郎が”天龍革命”を起こし鶴田との抗争を起こし話題を呼びますが、一気にとは行かず沈滞ムードを一掃するため、全日本は同じく新日に移籍したがやはり契約を切られていたブロディとブッチャーの復帰を画策するのです。
この復帰は全日と新日話し合ってのトレードだったという説もあります。そして2人はその年の世界最強タッグ決定リーグ戦で全日マットに再登場するのです。しかしこの2人の復帰はあくまでブロディが本命であり、既に40代後半に差し掛かっていたブッチャーについては「ついで」「功労者への温情」的な見方をされあまり期待されてはいませんでした。(ブロディはその前のジャイアントシリーズに数試合出場)
そして同じ時期、新日本プロレスでは”前田日明、長州力足蹴事件”が起こります。元々長州の復帰やその後の行動を快く思っていなかった?前田が長州とのタッグマッチでの試合中、サソリ固めを掛ける長州の後ろから忍び寄り不意打ちで顔面を蹴ってしまい長州は眼底骨折に追い込まれその後の試合を欠場することになるのです。
前田の蹴りは「ガチの蹴り」ではないか?とファンは噂し、新日本も看板の長州を怪我させてしまった前田に対して「プロレス道にもとる」として出場停止処分にしてしまうのです。猪木は常々「誰の挑戦でも受ける」と語り「全日本はショーマンスタイルでこっちはストロングスタイル」と自らの団体のみが真剣勝負を行っている、ともとられるパフォーマンスを行っていただけにこの処置は解せないものでした。
同時期お笑いタレントのビートたけしさんがプロデュースする「たけしプロレス軍団が新日本マットに上がる」という噂も現実に向けて動き出しており、古参のプロレスファンは「いったいプロレスはどうなってしまうのだ?」と嘆いていたものです。その時期、ライバル団体であれど「古きよき時代のプロレス」を体感できそうなブロディとブッチャーが復帰することは単に人気レスラーの再登場という以上に歓迎されていたのです。
そして迎えた最強タッグ開幕戦、メインに抜擢されたブッチャーは大張り切り、因縁の深い鶴田と谷津が相手という事で一層力が入ったはずです。試合序盤から軽快な動きを見せるブッチャー、初来日で情報がほとんど入らなかったTNTも蹴りを主体とした予想外のいい動きを見せ館内は盛り上がります。そして問題のシーン。
ブッチャーと向かい合った鶴田は肩口付近に張り手を叩き込みますが、その3発目をブッチャーは左手でブロックし、返す刀で右手を鶴田の喉元に突き刺します。あの懐かしい”地獄突き”です。そしてブッチャーは両手を円を描くようにすばやく回しインチキくさい空手の型のような動きを見せます。「ウォ~」と吠えるジャンボ。そうするとブッチャーは今度はゆ~くりと大袈裟に空手のような動きを見せ、大見得を切るのです。場内大歓声!
移籍前でもよく見られたシーンではあるのですが、時間を置いたことでとても新鮮に映ったのかホール全体が歓迎している印象でした。場内の異様な雰囲気を感じ取ったブッチャーはあのギョロッとした目を更に大きくさせて無表情で客席を見回し、「見たか!俺はまだまだこんなに身軽なんだぜ!」とばかりにその場でピョンピョンジャンプし始めたのです。そしてそのシーンはまるで歓迎されたブッチャーがうれしくてジャンプしているようにも見えるのですね。。。。
・・・・これが私の大好きなシーンという訳です。さあ、ここから色々グダグダ薀蓄を述べたいと思います(笑)。まず、この状況、ブッチャーサイドからの思惑と観客サイドの思惑は決して一致したものでは無いというのが面白いのです。観客側とブッチャー側の意識というのは少し、いやかなりずれているのです。
まずブッチャー側の見方です。この試合を迎えるにあたってのブッチャーの気合の入り方は半端なものではなかったと思います。もはや断念したであろう日本でのビッグマネー獲得のチャンスがまた巡ってきたのですから、銭ゲバブッチャーならこの試合で何が何でもガッツリと爪あとを残そうと燃えていたはずです!
しかしブッチャーはここに至るまで時に新しいことをやったわけではありません。今まで散々やってきた攻防を改めて披露したに過ぎ無いのです。そしてこの大歓声!ブッチャーからしたら「やはり俺様は日本のプロレスファンから支持されている!イノーキとはたまたま手が合わなかっただけ!こんなにうれしがっているからちょっとサービスのパフォーマンスを見せてやるか!」といったところでしょうか?
ジャンプにしても、自分がそれなりにユーモラスに見られていることは重々承知しているでしょうから、ポイントでこれやればうける筈というのはブッチャーも分かっていたでしょう。こういうところのブッチャーの勘というはえげつないですからね。
そしてファンの側です。ファンは興行が始まった時点で前田事件の事は大半の人が意識にはなかったと思うのです。そしてお目当てはブロディであり、ブッチャーは「久しぶりに見とくか」程度の感じだったと思います。ただしかしノーマークだったブッチャーのパフォーマンスを見て、ファンそれぞれの意識化にあったプロレスが持ついかがわしさの魅力、予定調和のワンパターンのパフォーマンスが持つ意外な面白さを心の中から掘り起こされたのではないでしょうか?
前田事件で、プロレスというジャンルがガチかそうでないか?という点をジャッジしなければならないことは、プロレスの持つ曖昧な部分を楽しんでいるファンには辛い事です。しかし当時の急進的な格闘技志向のファンの前ではその手の話は言い辛い面もあったと思うのです。しかし突然その権化であるブッチャーからその点を見せ付けられ「そうかプロレスってこういうところが面白いんだ!」とツボに入ってしまい大歓声と化してしまったと思うのです。
まとめると、ブッチャーは「どうだ!俺ってやっぱりすばらしいだろう」とジャンプしているのですが、ファンはそこの部分は置いといて、プロレスの持つ魅力を掘り起こしてくれたことに狂喜しているのです!そしてこの「見方の乖離」という部分は他のジャンルではそうそうあるものではないプロレスの持つ特異な面白さなのです。
たとえば、、、、まあ、野球でもサッカーでも大相撲で何でも良いのですが、ファンが喜ぶ観戦の視点は基本的には3つか4つくらいだと思うのです。例えば野球であるならチームとしての強さの度合いで一喜一憂するのでしょうし、その次に各選手個人のパフォーマンスの度合いを見るのだと思います。どれだけレベルの高い選手であるかという、、、。
たまには「珍プレイ」といった本来の動きとは別の部分が評価の対象になることがあると思いますが、基本的には本来のプレイの添え物的に語られるものです。あえて言えば女性ファンは成績とは別に「顔がいい」とか「スタイルがいい」とか、更には「私服のセンスがいい」」とかいう点も判断基準になることがあるかと思います。でもやはり基本的にはプレイのクオリティが見る側が一喜一憂する部分だと思うのです。
しかしプロレスは違う!ひとつの動きで場内の歓声が起こったとしてもそれをどう捉えているかは、個々の見る側でまったく異なると思うのです。そもそも正しい見方というものが無い!単純に「どっちが勝つか、どっちが強いか」で純粋に見ている人もいれば「ブックありきでもそれを楽しむ」人もいるでしょう。また、その感覚も「どの部分まで認めるか?」についてはそれぞれで違うと思うのです。そして他のスポーツの女性ファンのように単純に選手個々の見た目だけを追うのも邪道なものではない!
テレビ朝日の人気バラエティ「アメトーーク」では定期的にプロレス芸人特集を行っています。ある回で新日本プロレスの中邑真輔が相手から何を聞かれても「イヤオ!」で返すことに対し、大のプロレスファンであるケンドー・コバヤシが「イヤオの意味はそれぞれで考えて中に入る言葉を当てはめてほしいのだ」と答えていましたが、プロレスの真髄を簡潔に表現した実に見事な言葉だと思いましたね!
私としては、プロレスというジャンルの特異性が好きですし、各個人の色々な見方がされる中、その大半を一気にまとめてしまうような「ワンカット」にたまらない魅力を感じるのです。ですのでベストマッチはこの試合なのです!
以降、プロレスというジャンルについて、少し突っ込んで書いてみたいと思います。まあ、あれですね。。。。でもヤオかガチか?という二択を考えるという単純なものではありません。
プロレスというものは見る側についても純粋に勝負論一本を楽しみに見ている人は少数派だと思います。団体のエースがタイトル戦で毎回1分程度で一方的に攻めまくって連勝を重ねていても評価はされないでしょう。いくら素晴らしい動きを見せたとしても。そして例のピーター本が出版されて以降、台本ありきであることは確定事項であると認知されたように思います、一見。。。。
大方のファンは「薄々そうではないかと思っていたが、やはりだったか、、、細部に驚く部分はあれど想定どおり。。」と感じではなかったかと思います。私も初めはそう思ったのですが、だんだん「そう簡単なものではないぞ」と思うようになりました。ただし、「プロレスは完全な真剣勝負!」ということを言い出したいわけではありません。
本来「台本ありき」というのであるなら、その台本がかかわる関係者全てに共有され、如何にその台本どおりに動くかを突き詰めていくものだと思います。演劇・舞台さらにはテレビ番組がそうだと思います。多少のアドリブは演者よっては許されても、まずは台本が絶対!しかしプロレス界本体はその仕組みについては未だに認めていません。WWEは台本の存在は認めているようですが、具体的にどのような細かい流れかは明らかにしていないと思います。
では、日本のプロレスはいったいどのような形態であるのか?台本があってそのとおりに演ずる?メジャー団体だと年間100試合近い興行があるかと思います。そしてメンバーは大方同じであってもその組み合わせは毎回異なり、その内容も個々のプレイは同じであっても流れは微妙に違っています。正直今のプロレスの形態はよく知らんのですが、どう考えたって毎回毎回細かい台本があり選手はそれに沿って動いている、と考えるのは無理がある!
ピーター本では若手の試合について、「リングに上がり試合直前に向き合った際、自身の親指を上げ下げしてその試合の勝者・敗者を伝える(ビッグマッチの際は事前打ち合わせ有)」などと書いていましたが、それで毎回毎回それなりに違った展開の試合を行っているって、、、それってすごい事ですよ!それは現実的には考えにくいですね!
しかし、それなりに違った組み合わせで、地方巡業を行いながら試合をこなしていくのならば、その通達から実践までのスパンはそこそこ短いのではないかと思います。まあ、当日~1,2日前といったところでしょうか。。。全日本で言えばドリー・ファンク・ジュニアやハーリー・レイス、ニック・ボックウインクルの試合は小技でダメージを与えつつ、体のどこかの部分(腕や足等)の一点攻撃に移行し、勝つにせよ負けるにせよその攻撃を行ったことが要因となっている、、、ということが容易に分かる試合展開を得意としてます。
思うに全体で共有される”台本”がないのであれば、それは”筋書きのあるスポーツ”とは言えないのではないか思うのです。だからと言って真剣勝負だというのではなく、個人のセンスと身体能力で説得力のある試合内容を構築していくという極めて特殊なジャンルだと思います。
これって真剣勝負云々というよりは芸術に近いなと思うわけです。しかも基本的に相手の業は受けるという前提はあるものの一歩間違えば三沢光晴選手やプラム麻里子選手のような「死」の危険と隣合わせてそれを行っているという、、、こういう類まれなジャンルな訳です。言い意味でスポーツとも言い切れないし、演劇ともちょっと違うという。。。これと似たものは何か?いつも考えるのですが類似点が多いバラエティテレビ番組がありました。
松本人志さんが主催するIPPONグランプリです!
この時期に松っちゃん絡みの番組を取り上げるのは何か意味がある、、、そういうわけではないのです。でもコンセプトは非常に似ていると思うのです。プロレスが私の定義したものであれば。。。
皆様ご承知かと思いますが、この番組は、参加した芸人たちが、その場で「お題」を提示され、その「お題」に沿った回答を挙手で答え、どれだけ観客の同意ポイントを得られるか?という企画です。よくよく考えればプロレスと酷似している企画だと思うのですよ!私が勝手に定義したものがベースとするならば、勝ちもしくは負けをベースとして、「長期戦」「流血選」「秒殺試合」「遺恨試合」等のお題に沿って、どれだけ自分のセンスを元に「良い回答」を提示できるかという、、、、
そしてその回答もただフリップに書くだけでなく、イラストを交えたり、言い方やアクションのとり方によって同じ回答でもウケかたも変わってくるという、、、これをプロレスラーは毎日毎日やっとるわけです!地方の何百人かの観客の前でも、、、褒めているように聞こえないかも知れませんが、本当に瞬発力とセンスが同時に問われる特異なジャンルだと思うのです。私が勝手に定義しているのが前提ですが。。。(笑)
もしプロレスが決まりきった台本を元に黙々と試合をこなす演劇であるとしたなら、平成~令和と流れる時代の中でとっくに滅びたジャンルだと思うのです。いや危機は何度もあった。しかし実にしぶとく生き残っている!こんな如何わしいジャンルが生き残っているなんてありえないと思いますよ。
それは、プロレス本体に近い人間、馬場さん、猪木さん、坂口さんや長州さん、鶴田さん、ラッシャーさんあたりがその構造について一切口にしなかったおかげです。そして業界の外にもプロレスを守ろうとしている人が多い!テレビのバラエティ番組でも、スカイダイビングをやればBGMはスカイハイだし、乱闘シーンだったらBGMはサンライズだし、最近で言えば「クセスゴ!」の原口としまさが勝俣の物まねシーンでなぜか「マシンガン」が使われているしw。。。
まあ、流石に今の若者には昔のプロレスラーの名前で物事を例えるのは嫌がれられているようですが、、、未だに生存しているのは色々な人が守り、色々な人が絶やさないようにしてきたおかげだと思うのですね。もうひとつ言えば、「全部言わなくても阿吽の呼吸でお互い分かり合う」と雰囲気が日本人の完成にあっているからかも知れません。
ずいぶん話が脱線してしまいました。強引に?話をまとめますと、プロレスというジャンルは見る側の視点がそれぞれによって全く異なるジャンル。しかし何かのタイミングでそれぞれ全員が「これは面白い!」と思うワンシーン・ワンカットが何故か起こってしまうのが私はとても面白いと思うのです。そして筋書きを立てたとしても何故かその筋書きが独り歩きして歴史を作ってしまう。。。これもまたプロレスのあるあるです。
私も50年近く生きてきましたが、人生の中で妙なことに遭遇すると「ああ、これってマット上で起こった✖✖事件そっくりだな」と思う事がよくあるのです。同同意してくれる人はいないでしょうか?それがあるからプロレスは飽きられることもなく令和の時代も生き続けている、そんな風に思います。
今日はこんなところです。それでは、また。