こんにちは、みやけです。
今回は私の骨髄移植の回想企画の7回目です。前回より少し時間が空いてしまいましたね。
抗がん治療が本格的に始まり、2017年の盆前に入院する事になりました。ますビザータ注射の効果を確認する意味が強い検査入院的な処置でした。
幸い大きな副反応もなく、顕著な体調異変も確認出来なかったので抗がん治療を続行する事が確定し、9月中旬には退院する運びとなりました。下に挙げているように血液の数値は悪化する一方だったのですが、それは想定済みという事です。
効果が表れるのは1ヶ月後以降という事であり、それまで血液の各種値の回復は輸血頼りになる訳です。当時は特に薬は服用していませんでしたから。退院後も一層下がっていく数値を見て今後数値は下降する一方になるのでは?と不安にはなりましたが。。。
入院中は特に気分が悪いという事も無く気楽に過ごしました。メンタルケアの勉強をする傍ら時間を決めて筋トレやストレッチを自身に課しました。大げさなことは出来なかったので、プロレスラーが遠征先のホテルで行うというチューブトレーニングをよくやったものです。これは畳一畳程度のスペースがあればいろいろなことができるので実に実用的です。
更に大きな課題としてダイエットを申し渡されていたので間食は一切できませんでしたが、それでも入院中3回の食事はとても美味しく食べることが出来ました。後日移植時の入院時、口内炎が激悪化し喉の中が腫れに腫れ、食事どころか薬を飲むのさえも四苦八苦していた事を考えると実に気楽な入院でした。
不便だったのはwifiがつながらなかった事。これは休憩室で会話したり患者の会に出席して話をすると入院患者の大きな要望で必ず上がって来るものです。特に夜は時間をつぶすのに苦労するので自然に携帯を手にすることになります。その時は携帯プランは確か無制限とかその手のプランには入っていなかったので何度もgigaを購入したものです。
勤務先には1ヶ月で休職の手続きを行っていました。なもんでそれを半分で繰り上げて復職してくることになった事について、説明するのに苦労していましたね。ただでさえ血液疾患の症状を説明するのには苦労を要するのに、、、。
とにかく「もう手遅れで手の施しようが無いので、病院から見放されて退院した」のではない、とクドクド説明したものです。どれだけ理解してもらえたか今でも自信はないですが。まあ、この手の話は以降も現在に至るまでずっと続くわけです。(笑)自分で言うのもなんですが、結構な過酷な状況に耐えそれを乗り切った自負はあるのですがなんせ血液疾患はどこがどう辛いのか分かりにくい!
移植後は抗がん剤で頭髪が全部抜け落ちるのである程度はガン患者だったことは理解してもらえるにしても、外観で明確にわかるような体の一部を開けるとか切除するとはしていないですからねえ。。。まあ、仕方がない事です。
そして順調に9月頭に2週間程度の入院で退院できたことで、流さずにチケットを持っていた9月18日に開催の沢田研二さんのコンサートに行くことが出来るようになりました。6月頃にはチケットは手元にあり、コンサートの時期の入院は確実な状況になっていたので他のファンの方に譲ることも考えたのですが、「これをお守り代わりに持っておこう。もし行けなくてもチケットは自身の記念になるはず。」と考えたのです。
幸運にも結果2週間で入院は済んだのでライブには行ける事になりました。きわどい季節、いやきわどい退院でした。その後も治療やその他目標事項に向かうにあたって、「自分は絶対にいい方向に導かれる。そういう人間なんだ。」と確信して成功に至る過程まで想像し、その大半を実現させることが出来ました。
私は元々何も根拠が無くても「私は少々ひどい目に逢っても最悪の状態には陥らない」と確信している人間なのです。移植の入院時、私は自信を鼓舞するために「私は●月✖日に退院予定です。そう決めました。」と冗談交じりに吹聴して回りましたが、結果1日違いでしたがほぼそれを当てることが出来ました。予後が良い結果に結びついたのは私のこの性格もあるのかも知れません。
前にも書きましたが、このコンサートはジュリーのデビュー50周年記念コンサートであり、「過去に出したシングル曲50曲を1番のみ歌唱する」というレアな企画です。んで、ジュリーが凄いのが、(タイガース時代を入れれば)別の曲で更に50曲シングル曲をリストアップ出来るのです。この時歌わなかったのは「カサブランカ・ダンディ」「OH!ギャル」「魅せられた夜」「酒場でDABADA」等沢山あるのです。
担当にライブ参戦のことを話すと、あまりいい顔はしませんでした。まだコロナ前でしたが、ライブなら当然人が密集し狭い空間で2~3時間過ごすことになります。免疫力が低い私ですから先生としてはできれば回避したい状況ではあるのです。しかし担当医は私の熱意に負け(?)「直行直帰」「入場から退場までマスク着用」を条件に許可してくれました。何かと因縁のあった前担当のN先生でしたが、このことには今でも深く感謝しています。
それはともかく、ライブ当日は秋の夜を十分に堪能することが出来ました。席はかなり後ろの方でしたが、この時は会場全体の雰囲気が感じ取れて返って良かったですね。ジュリーがライブで歌う歌はある程度限られているので「CHANCE」「SPLEEN」「アリフライラ~」あたりは最初で最後の聴ける曲になりそうだと思っていたので実に貴重でした。
そして、自身の今後の治療を考えれば「ジュリーのライブに行けるのもこれが最後になるかもしれない」という気持ちも心のどこかにありました。1曲1曲聞くごとにテンションは上がりつつ、なんだか寂しい気持ちになった事を覚えています。頑張って歌ってくれたジュリーには申し訳ないですが。
ジュリーはトークも絶好調でした。福岡のライブはいつも超満員の為ジュリーは毎回ご機嫌であり、沢山喋ってくれます。そしてここ10年くらいは「皆さん、出来るだけ来年まで死なないでまた見に来てください。私もできるだけ死なないようにしますから。」と笑わせるのが鉄板ネタとなっています。みな、ジュリーと一緒に老いて行っていますからねえ。
そしてエンディングは結構おちゃらけて終わり、あまり湿っぽくならないよう、明るく舞台から去っていきます。少なくともこのライブの前に私が見に行った時までは。。。しかしこのライブの最後はなぜかかなり雰囲気が違いました。
ジュリーは
「いつまでもお元気でいて下さい!どうぞいつまでも!お体をお大事に!」
と何度も連呼し、その言葉を言うたび深々と頭を下げるのです。
この言葉はたまたまだったのかもしれません。しかしこのジュリーの温かい言葉は私の心に強く突き刺さりました。妻と2人3脚で治療に向き合っていましたが、親戚・友人にはあまり話していなかったので孤独を感じることもありました。
「妻以外俺のことは誰も理解してくれないんだ」と自暴自棄な気持ちになることもありました。しかし意を決して臨んだジュリーのコンサート。体感するだけでも十分満足でしたが、ジュリーのこの言葉!なんだか私に向けてしゃべってくれている気がしてなりませんでした。気が付くと頬に涙が流れていました。
私のライブ中のスタンスは、どちらかと言えば感情を表に出さず、結構小難しい顔をして聞いているのです。もちろん、拍手はしますが声を出したりしません。でも色々と押さえつけていた思いが一気堰を切って流れ出たのかもしれません。私はジュリーが舞台から去り、お客さんが次々退場する中でもずっと立ち尽くしジュリーのいた跡を見つめていました。
ジュリーはわかってくれていた。ジュリーに助けられた!
そんな思いでした。もちろんそんなことはないのですが、そう確信したのいですよ!そして以降のライブでもジュリーはエンディングではおちゃらけをやめ、深々とお辞儀し来場者の健康を祈る、願うようになりました。寛解したとはいえ未だに通院が続く私にとってはそれもまたジュリーの行動と連動しているように思えるのです。
あくまで私個人の見解ですが、難病治療において、その時その時起こった事象について常に自分の良い方に解釈していく事はとても大事なことのように思います。後日旧友と食事した際、このことを一通り話すと「それ、たまたまだろ?沢田研二のファンは高齢者が多いから自然とそういうコメントを出すわな」と言われました。ま、そうだとは思います。
ただ、治療中、このジュリーの言葉を心の支えとして頑張ることができたのは事実です。愚直であろうとも、物事を良いように受け入れることはクオリティライフを送るに重要なことだと強く思っています。
さてさて、この話はここまでのハッピーエンドで終わろうとしましたが、このことも書いておきたいと思います。私はこの時期に骨髄移植を受けるため骨髄バンクに登録しました。退院直前に記入書類やいろいろな資料が届いたので、ライブに行く直前その資料にボチボチ目を通していました。
この内容を目を通していく中、骨髄移植の結果についてかなり寒々しい内容が記されていました。これだけ見ると移植したとて5年以内の生存率は40%程度ではないかと。。。。
しかし色々と私なりにこの件について色々確認を行った結果「現在生存中の人のデータが正確に反映されていない」「新たな化学療法が確立され生存率は間違いなく上がっているはずだが、日が浅い為その内容が正確に反映されていない」という2点を導き出し、あまり気にしないようにしました。
しかし、”エビデンス”(←この言葉を何度聞いたことか!)を論理の主体とする先生方からはその後も「生存率40%程度、、、」という話を何度も聞かされ、その都度いや~な気持ちになったものですが。。。
まあ、そんなところですね。この後年末に向け本格的なビダーザ治療が始まるわけですが、ジュリーの言葉で陰鬱な気持ちにはならなくて済んだという事です。
それでは、また。