私の骨髄移植 ⑥ はじめての輸血

こんにちは、みやけです。 今回は私の骨髄移植体験記の5回目です。

前回の内容は下記をご覧ください。 2017年の盆明けにビダーザ療法のための入院が決まり会社にも1ヶ月の休職を申請。本格的に治療に取り組むことになります。

私の骨髄移植 ⑤ ついに化学療法~ビダーザ治療。ジュリーに会えるのか会えないのか?どっちなんだ!

7月27日の診断で入院日が確定。その際「ヘモグロビン値が8.0以下だったら輸血を行う」と主治医から言われていたのですが、入院直前の通院でヘモグロビン値7.1となっていたため早速生まれて初めての輸血を行う事になりました。

上の表がその時の結果なのですが、中々無残な数値です。明らかに「異常」と言ってもいい数値であり、昨年末の微妙な状態からここまで落ちるのか!という気持ちでした。しかも2週間で急降下していますからこの値を見た時には正直青ざめました。もうかなり深刻な状態になってきているんだな、と。

ただし、何故か血小板の値はあまり降下せず、この状況は移植が終わるまで続きました。そして何故か移植後には血小板だけが中々上がらず苦労しましたが、、、なぜこうなったのか良く分りません。

それからこの時点では特に自覚症状はありませんでした。この数値ならめまい・ふらいつき等の症状が出てもおかしくはないのですが、なぜかそれは感じませんでした。不眠は顕著でしたが。。。

8月10日の血液検査直後に輸血となった訳です。初体験だったのですが、その後輸血は私の欠かせない処置となり、移植直前には週に2~3回のペースで行う事になります、私はこれで命を繋いだ、と言っても過言ではないのですが、有難い反面実にむなしく憂鬱になる時間でもありました。

輸血はどんなパターンで行われるのか? 私の場合朝一番病院に入ったとしたなら、即血液検査。結果判明まで45分前後かかります。その結果を持ち診察室に呼ばれ、即輸血が必要なことを告げられ、いったん待合室にて待機します。

通院先はがん専門病院ですので、一応私が必要な輸血用血液のストックは常に用意されておりました。だからと言って看護師さんや医療器具のセッティングもあり直ぐに始まる訳でもありません。なんだかんだで10時45分~11時頃開始がパターンでした。

輸血の医療器具は点滴と全く同じものであり、血液のパックを(確か200ml)腕に刺し1時間20分程度かけて体内に送り込みます。ベッドで横たわっていると宙づりになった器具の連結部分からチューブの間に血液がポタポタ落ちてくるのが見えるのですが、言っちゃあなんですが、これが長い!

針を刺していないほうの手は自由に動かせますので携帯をいじったり、本を読んだりする事も出来るのですが、少し体勢を変えた際張りが抜け落ちるのが怖くてあまりそういうことはしなかったですね。しかし、その後移植前に体調が極端に悪くなり、輸血でベッドに横たわり血液を流れるのを見ていると「ああ、これで少し楽になるのだな」と思ってホッとしたものです。

更に私はこの頃から同時進行で心理学の勉強をしていたので、輸血を何度も行うようになるとベッド上で妻からミニテストをしてもらうようになりました。今でもそうなのですが、この病気の診察の際は常に妻が同行しています。

妻からテキスト内の文章を読んでもらうのですが、事前に重要個所をアンダーラインしておき、その部分は妻は読まず私がその伏せられた個所を考えて答える、という流れです。個室の時ならともかく、通院時は近くにはやはり体調が悪くて横になっている患者さんもいたわけです。

一応病院側に断りは入れていましたし、極力小声でやり取りしていましたが、やはり周囲の方には迷惑をかけていたかもしれません。今でもその行為は申し訳なかったと思っています。でもがん治療専門病院の通院者用ベッドで横たわっている人は重篤な方が多く、寝ていても隣のベッドから横にいる家族に対して「もう●にたい」なんていう言葉が頻繁に聞こえてきて1時間近くそこで拘束されているのはやりきれなかったですね。

おかげさまで、かどうかわかりませんが。今私が持つメンタルケアカウンセラーの資格はトントン拍子で試験に合格し、最終的には「メンタルケアカウンセラー」「メンタルケア心理士」の資格を休職中、治療中に取得することができました。これだけでなく身体を動かせない間は、何かその状況下でやれることはないか?常に考えていましたね。

しかし、この輸血という治療、相当に時間を喰います。時間がかかる治療としては人工透析は有名ですね。聞けば透析の時間は5時間程度という事ですが、そうなると朝一病院に行っても夕方まで病院を出れないわけです、その病気に罹る前は「透析なってことになったら人勢終わったも同然だよな」なんて浅い知識で考えていたものです。

しかし実際輸血を行いだし、それが週に複数回となってきた際、終了して病院を出る時間は何だかんだで、15時過ぎになってしまっていたので(11時開始~13時半終了、もう一度先生の話を聞いて、清算すると大体15時頃になる)、透析とあまり変わらない状況ではないか?と感じるようになりました。

今では人工透析の方がもっと過酷な治療であることは十分任認識していますが、当時はすさんでいたのでそんなことを思っていました。そして現在、コロナ過及び今に至っても輸血用血液が足りていないニュースが頻繁に流れています。

ボランティア頼みである今の状況には限界があると思います。更には現役バリバリで働く世代には献血する時間や精神的余裕がないだろう事は重々承知しています。もっと高校等に出向いて10代へのアクションを積極的に行えないものかと思います。

無責任な意見ですが、骨髄移植を行った私は移植のドナーとなることはもちろん、献血さえも規定で叶いません。移植のドナー、および献血によって今私が生きながらえているのですからとてももどかしい気分ですが、なんとか献血や移植ドナーさんの人数が増えてくれないかと心から思います。

話を戻します。盆前後に両親、妻の実家、勤務先への挨拶を済ませ、盆過ぎ、、、記録では8月21日より入院しました。部屋は色々考えた末相部屋ではなく個室を選択しました。金額的には痛いところですが、2つ入っている生命保険から入院代はカバーできること、精神的な安定を考慮し個室を選びました。これは自分でも間違った判断ではなかったと思っています。

入院してからの記録は上に上げましたが、これ以降もそうなのですが、輸血の効果で赤血球値、ヘモグロビン値は回復してきているのですが、白血球値はあまり変化がありません。それどころかこの後更に下がります。

というのは輸血用血液に白血球は基本含まれていないからです。何故かというと白血球は病原菌を攻撃する細胞ですが、他人の血液なので、輸血した場合輸血を受けた患者の身体を攻撃してしまう可能性があるからです。(相当ザックリした説明ですが、、、) 

なので、貧血関係のリスクは回避の確率は上がっても、白血球が少ないため免疫力の低下のリスクは変わらないことになります。この状況になりうることは聞いてはいましたが、以前に書きましたように退院後すぐに私はジュリー、、、沢田研二さんのライブに行くことを目論んでおり、チケットもそのままにしていたので、その点が気がかりでした。

入院中はビダーザ注射と輸血以外はそれほど時間を取られることもないので、比較的穏やかに過ごしました。食欲は普通にあったので毎回の食事はとても美味しかったのを記憶しています。移植後は口内炎、喉のただれで料理を味わうという事が全くできなかったですから、その時と比較すればとても幸せな時間でした。その時の食事の写真の大半は取っており、こんな感じでしたね。

その他骨髄移植に関する色々なレクチャーを受けました。以下の資料はビダーザ治療(アザシチジン)の説明がわかりやすく載っていますね。

更には各種承諾書の確認、サイン。下の画像は骨髄検査に関する承諾書ですが、まあとにかく「不測の事態は起こりえますよ」という事を念押しする者です。何らかの大きな治療のたびに説明を受けサインしてたで最後はこれには慣れっこになりました。「治療に予期せぬ副作用はつきものだ」という。。。

そんなこんなの入院生活ですが、特に体調が悪化することはなく、うだるような残暑の中、比較的快適に過ごしていました。

その反面、治療に関する各種説明を聞く中で、骨髄移植というものは受ければ終わり、というものでなく、その後が大変なのだという事がだんだん理解できはじめ、なんだかモヤ~っとする気持ちは逆に高まっていったのを記憶しています。

結局1週間は特に大きな副作用が発生することもなく、2週間、9月の頭には退院することができたのです。

今日はこんなところです。それでは、また。

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