こんにちは、みやけです。
今回もジャンボ鶴田さんのフィニッシュホールドの検証企画ですが、3つの技を挙げた後、最後に”バックドロップ”についてジックリ考察したいと思います。

◎ フライングボディシザースドロップ

「ジャンボのバックドロップの次の必殺技」と認識されることが多いこの技。フィニッシュとして多用しだした時期がバックドロップをテーズから教わった時期と同じ頃なのでやはりこれもテーズ直伝と混同されがちですが、ちょっとそれは微妙に違うのですね。
空中胴締め落としは確かにテーズのフィニッシュホールドの一つではあります。アドバイスを受けた可能性は高いですが、ただしジャンボはデビュー直後からこの技を使っているのですね。
そして、技のかけ方がその頃からあまり変わっていない!バックドロップはテーズ指導以降明らかに違っていますけどね。意外とボディシザースドロップをテーズからコーチされたかどうかの記述している文献は無いのですよ。

この技で決めた試合で印象的なのは1982年ジャイアントシリーズでのUN戦。ハーリー・レイスに奪われたベルトをこの一撃で奪取した試合です。もう一つあげれば1981年新春Gシリーズで、やはりUN王者A・ブッチャーをこの技で倒し、王者に返り咲いた試合ですね。
いずれの試合も「セコンド乱入無し」「ジョーさん失神無し」の完全決着がついており、価値あるフィニッシュだったと思います。それ以前ではバロン・フォン・ラシク、更にはUN戦でマイク・ジャープjR から決勝フォールを奪っていますね。
レイス戦以降も特に1983年~84年にかけて多用。鶴見五郎、アレックス・スミルノフ、マニー・ヘルナンデス、バズ・タイラー、トーア・カマタ、バグジー・マグロ‐をフォール。更には1984年GCCⅡ大阪でのインター戦においてビル・ロビンソンをこの技で葬り長年のライバル関係に終止符を打ちましたね。

更には前回書きましたように、1986年エキサイトシリーズにおいての全日対ジャパン軍6対6対抗戦においてアニマル浜口からフィニッシュを取っています。この試合はバックドロップ、そしてトップロープからのダイビングニーを炸裂させた後、この技で締める、という少し変則的な流れでした。
この技はジャンボというレスラーの運動神経の良さが十分に発揮されている技だったと思います。他のレスラーの掛け方はどちらかと言えば「ヨイショッと飛び乗る」イメージなのですが、ジャンボのは、助走をつけてから卓越したジャンプ力で飛び上がりますから「上から押しつぶす」イメージなんですよね。

1983年エキサイトシリーズにて久しぶりに全日本プロレス中継がゴールデンで生放映。その際のジャンボへの刺客として”野生の炎”トミー・リッチが初来日しましたが、彼はこのフライングボディシザースドロップが必殺技。しかし相対してみると明らかにジャンボのそれの方が見栄え・破壊力がありました。リッチがその後日本ではイマイチだったのはそのことが原因かもしれません。
他の使い手としてはドリー・ファンクjR 、ザ・デストロイヤーあたりが思い浮かびます。面白い所ではリッチと同じシリーズに初来日して大仁田のインターJr 王座に挑戦したマイク・デービスもこの技の使い手であり開幕戦で越中をこの技で破っています。偶然でしょうか。。。
そしてこの技を象徴していた結果があります。1990年新日本プロレスの東京ドーム興行。「’90スーパーファイトin闘強導夢」にジャンボ鶴田・谷津嘉章組が参戦し、ジャンボが木戸をこのフライングボディシザースドロップで破った事です。

お祭り的意味合いが強かったこの試合。色々あってこの参戦は急遽実現したものであり、景気づけでジャンボのフィニッシュはバックドロップの方が盛り上がったと思います。しかしこの技を選択した!私は当時からこの結果を不思議に思っていました。
結論から言うと、ジャンボの相手が木戸修だったからではないかと思います。新日本ファンには申し訳ないですが。当時の木戸は旧UWF参戦を経て「仕事人」との認識はファンの間では共有されていましたが、ジャンボからすれば「中堅の一人」でしかなかったと思います。強い弱いは別として。

この時は、フレアーのドタキャンが要因で新日本側から請われて出向いたものであり、「行き過ぎたサービスをする必要は無い」と考えたのではないでしょうか?ジャンボらしく(笑)「ハンセンや天龍、タイガーも出るのだし、僕はそれほど張り切って目立つ必要は無いんじゃないか?木戸選手ならこの技でいいっしょ!」と考えたような気もするのですよ、妄想ですが(笑)
木戸修は、新日本ファンからすれば「秘めた実力者」なのでしょうけど、全日本ファンから見たら「小柄な中堅」なんですよ、正直。御大の評価も高いとは思えないんです。強い弱いは別として!(←しつこい!)
一見リスクが少なそうなこの技ですが、テリー・ゴディにはキャッチされた挙句、そのまま後ろ投げでトップロープに喉を打ち付けてしまいフォール負け、3冠を奪われる、という失態がありました。ブロディにも同じようなシーンが何度かあり、意外と「一撃必殺!」のイメージが薄いんですよね。
◎ フライングボディアタック

あまりジャンボの「必殺技」としてのイメージは少ないですが、それなりに使用しています。デビュー直後からはジャック・ブリスコ、ホースト・ホフマン、キング・イヤウケア、ワフー・マクダニエルといった強豪からもピンフォールを奪っています。
更には、1981年スーパーパワーシリーズでのジミー・スヌーカとのUN戦にて2本目で披露、そして翌年チャンカンでプリンス・トンガを葬りました。以降体重が増えてからはあまり使用していないイメージがありましたが、1987年サマーアクションシリーズⅡ、生中継でのニック・ボックウインクルとのインター戦で披露し抗争に終止符を打っています。

この時はトップロープからダイブではなく、ロープワークの最中自ら走って飛びつくスタイルでしたね。正直ニック相手にこの技で決着がつくのは意外でした。見返してみると、この技は中型タイプのレスラーに多用している感があります。
ダイビングニーや後述するミサイルキックは大型レスラーに対して、落下力をつけることでダメージを与えるイメージですが、ジャンボの場合この技は中型レスラーに対して自身のヘビー級の肉体で覆いかぶさって圧殺するイメージですね。

もうひとつ言えば、ジャンボは若い頃は対戦した選手の必殺技について、自分に合いそうだと思ったら積極的に使用していた、、、というかパクっていた感がありその流れのような気がします。国際プロレスとの対抗戦でラッシャー木村と対戦した後、ヒントを得たのかブルドッキングヘッドロックを使用した時期がありました。
1977年のエキサイトシリーズでのビル・ロビンソン戦でBDヘッドロックで1本取っています。結構うまい事使っていましたよ。下に書くミサイルキックも同じですし、デストロイヤーが外人側に戻り対戦するようになるとエアプレンスピンを使用してみたり、、(1982年東京体育館でのニック戦)。

このフライングボディアタックの派生はやはりミル・マスカラスからではないかと思います。意外とフォームも似ているんですよ。ただし、しばらく使うと飽きちゃうのか、あっさり辞めちゃうのがジャンボたるゆえんですけどね。


◎ ミサイルキック

個人的にジャンボの技としてはかなり好きな技の一つですね。トップロープ最上段からドロップキックを放つ、という技です。ダイビングニーと大差ないように見えるかもしれませんが、この技の方が重く突き刺す感じがしていいんですよね。
上のクリス・テーラーに放っている一撃は足が空中でぴたりと揃えられ足もピンと伸ばしての実にきれいなフォームです。
ミサイルキックを日本で初公開したのは1975年サマーアクションシリーズに初来日したリッキー・ギブソンだと言われています。(R&Rエキスプレス、ロバート・ギブソンの兄)この際のミサイルキックは非常に話題を呼んだようです。

そしてジャンボは早くもこの技をフューチャーし(笑)翌年新春ジャイアントシリーズのターザン・タイラー戦でフィニッシュに使用。更には年末の試練の10番勝負のクリス・テーラー戦の2本目で使用。必殺技の一つに入れ込もうと考えていたのかも知れません。その後1977年サマーアクションシリーズのミル・マスカラスとのUN戦で2本目で披露。
その後は少し時間が空き、1981年ジャイアントシリーズでのリック・フレアーとのNWA世界戦1本目で使用。更には1982年の新春ジャイアントシリーズのトーア・カマタとのUN戦の2本目で使用しています。その後は体重の増加とともに使用しなくなっていたイメージですね。

マスカラス・フレアーはともかく、テーラー、カマタ、タイラーといった体重差のある選手には、巨木をなぎ倒すイメージがあってかなりダイナミックだった印象があります。
この技の場合トップロープに上った後、相手のどのあたりを蹴るか一瞬目視で時間が経過しますが、ダイビングニーは若干大雑把に相手の胸周辺を狙えばいい気がします。そのあたりも使用頻度が減った理由のような気がします。
◎ バックドロップ

ジャンボが自身のフィニッシュホールドにバックドロップを選択した経緯ですが、まず1981年夏頃に全日本プロレスの経営不振が問題になり(外国人レスラーの源泉徴収税の滞納が発覚)、経営陣に日本テレビから役員が送り込まれ、松根光雄氏が社長となり、馬場は会長に棚上げされます。
松根社長は組織改革の一端として、まず中堅選手の佐藤昭雄をブッカー&相談役に指名。その中で「永遠の2番手」扱いだったジャンボ鶴田を馬場に代わるエースに仕立てるため動き出します。そしてその当時は今一つ明確でなかったジャンボのフィニッシュホールド確立の為、”鉄人”ルー・テーズのコーチを受けさせ、必殺のバックドロップをテーズ式に変えるよう働きかけるのです。

鶴田は1982年の夏と1983年の春、2回テーズのコーチを受けます。それまでのジャンボのバックドロップは、ドリーのそれに代表されるようお尻を抱え、片手を股間にそえ大きなモーションで会場に隅々までよく見えるようなオーソドックスな投げ方でした。
記録を調べてみたのですが、鶴田がテーズにコーチを受ける以前にシングルマッチでバックドロップでピンフォールを取ったのは、1978年リック・フレアーとのUN戦での1本目。1979年チャンカンでの石川敬士戦、1979年NWAチャンピオンシリーズでのマイク・シャープ戦の3回だけなのです!あまり重要視はしていなかったようです。
しかし1982年夏にテーズのコーチを受けて以降、一気に使用頻度が増えます!それもテレビマッチで!列記してみますと。。。(ニックからAWA王座を奪取するまでで抽出)
・1982年 サマーアクションシリーズ UN戦 対 キラー・トーア・カマタ (テレビ中継有)
・1982年 スーパーパワーシリーズ 開幕戦メイン 対 フランク・デュ―セック (テレビ中継有)
・1982年 ジャイアントシリーズ 対 ドリーム・マシーン (テレビ中継有)
・1983年 新春ジャイアントシリーズ 対 ヘラクレス・ヘルナンデス (テレビ中継有)
・1983年 新春ジャイアントシリーズ 対 ロッキー・ジョーンズ (テレビ中継有)
・1983年 エキサイトシリーズ 対 ジム・デュラン (テレビ中継有)
・1983年 エキサイトシリーズ UN戦 対 トミー・リッチ (テレビ生中継有)

・1983年 GCCⅡ UN戦 対 ニコリ・ボルコフ (テレビ中継有)
・1983年 GCCⅡ NWA世界戦 対 リック・フレアー ※1本目 (テレビ中継有)
・1983年 ジャイアントシリーズ 対 サイクロン・ネグロ
・1983年 世界最強タッグ 対 ロン・フラー
・1984年 新春ジャイアントシリーズ インタヘビー級戦 対 スティーブ・オルソノソノスキー (テレビ中継有)
特に”ジャンボ売り出し”が顕著なのが1982年夏から1983年春であり、シリーズの流れとは別の所で「ジャンボの必殺技はバックドロップ!」とイメージづけるのが第一目的でのマッチメイクが目立ちます。デュ―セック、ジョーンズ、デュランあたりのシングル戦は必然性の乏しいマッチメイクですからね。いわばテレビマッチみたいなものなのだと思います。
ただし、興味深い所は、ジャンボはテーズのコーチを受けながらもその間、投げ方について微妙に変化していっているのです。下の動画を見てもらいたいのですが。。。
まず最初のドリーム・マシーン(桜田一男)相手の一発は相手を捕まえてから投げるスピードが恐ろしく早くまさしくテーズ流という雰囲気がします。ただしあまりに投げるのが早すぎて観客が何が起こったのか認識できない危険性もあったかと思います。後、まだテーズ式に染まっていないのか?お尻の下に手を添えて投げていますね。
次はこれから約3か月後のヘラクレス・ヘルナンデスへの一発!ヘルナンデスの体重がある為か、マシーンの時より速さはややゆっくり目、しかし反り返るように投げ、弧を描く短さはやはりテーズ式には違いないと思います。手四つのフォールは斬新でしたね。
そしてその1年後のスティーブ・オルソノスキーへの1発!これは速さはかなり抑えめであり、投げる際は引っこ抜くような”タメ”があって後ろの方のお客さんにもわかりやすいのではないかと思います。弧の描き方も前と異なり反り返る感じが抑えめです。後年天龍や三沢・川田を投げたのと同じフォーム。この時点で完成形になっていたのだと思います。
ニックを投げたのもこの最後のフォームですよね?この時点で既に完成形としており、ジャパン軍や天龍軍、超世代軍相手のバックドロップの投げ方もずっとこの形だったと思います。
やはりエースに君臨するにあたってどうすれば破壊力・見栄え・説得力という半ば相反するテーマについて高い水準で合格点を出せるよう第三者を含めて試行錯誤したのではないと思います。
そして下の動画は1991年4月の三冠戦で三沢光晴相手ののバックドロップ。この時は最後にホールドしています。但し、この投げ方は初期のように弧の大きさが少なく、投げ方も速い!
あくまで私の感覚ですが、超世代軍を相手にするようになった際は、初期バックドロップのような早い投げ方をして状況に合わせて使い分けていたような気もしますね。「まだまだ三沢・川田は格下なんだ!」という点を印象付けるために。
そして結果的にジャンボ鶴田は、バックドロップという技について、ハンセンのラリアットと同レベルとはいかないまでも。近い所まで「必殺技」としての「技の格」を高めたと思います。
タッグのフィニッシュでも結構披露していましたが、出せば基本ピンフォールを奪っていましたし、返すとしても「3冠戦のチャレンジャー」レベルでないと認めない、そんなイメージがありましたね。どのあたりがそうさせたのでしょうか?

例えば他の日本人選手のバックドロップの使い手はたくさんいる訳です。アントニオ猪木をはじめ、長州力・マサ斉藤の2大巨頭がいます。しかし彼らの必殺技のイメージは「卍固め」であり、「リキラリアット」であり「監獄固め」だと思うのです。
そしてこれらの技は全て観客に自身の顔が明示されており、決まった瞬間は実に派手でカッコいいのです!そうなんです!バックドロップは相手の後ろに回り込んで投げるので自分の顔が結構隠れており地味な技なのですよ!

しかしジャンボはこの技をフィニッシュホールドとすることを1980年代半ばに選択し、それから10年間大事に使い続けた。なぜなのでしょうか?これは私は新日本への無言のアンチテーゼ(ある理論を否定する理論)からくるものだ、と推測しています。
かつて、御大ジャイアント馬場がアメリカ武者修行から帰国し、当時のエース豊登との対立が噂された際「トヨさんはお米しか食えないだろうけど、俺はパンも食える」と語ったと言います。一見冷静に見えるコメントですが、真意は「豊登に俺の真似ができるのか?!」そう言いたかったのでしょう。

某金ちゃんのように一騎打ちを迫る訳でもなく、自身の優位性を明示し選択を迫らせる訳です。これぞ、全日!いや馬場イズム!(笑)まあ、ジャンボのバックドロップ選択において御大の意図が入っていた、とはあまり思わないのですが、、、ジャンボの資質を考えれば、強さを全面的に押し出せば新日本の選手は誰も構わないはず!という読みがあったはずだと思うのです。
これはガチが強いとか弱いとかそういうことを言いたいのではないのです!(←くどい)この時期はジャンボ=藤波同格説もありましたから、「ジャンボが強さを全面的に出していったら、新日ファンは批判するにしても枝葉の部分でしか文句は言えなくなるのでは?」と考えたのではないとと思います。
そうです、バックドロップ選択は他のレスラーや関係者へのメッセージというよりは新日ファンを”黙らせる”のが大きな目的だったように思います。それまでのジャンボは結構「弱い」という指摘は結構あったんですよ。

しかし、黒タイツを履き、バックドロップをフィニッシュをするようになってからは、「強さ」については否定的な意見はグッと減りましたからね。ただし「怪物」と呼ばれるようになったのはそれから少し後の話ですが、バックドロップの選択によりその地ならしは出来ていたのかな?という気もするのです。
今日はこんなところです。それでは。また。
