こんにちは、みやけです。今回も沢田研二さんのお話です。

前回は博多(福岡市民ホール)で9月3日に開催されたライブに参加した時の話を書きました。更にですね、私はその直後の5日の鹿児島・宝山ホールでのライブにも参戦したのです!しかも4列目という神席!妻の実家が鹿児島ですので里帰りも兼ねて。
これまでのライブでは、他のミュージシャンを含めて1桁番席、、いや15列より前だったという記憶もないのです。当然ジュリーの表情もじっくりと拝見することが出来、「今、俺を見ていたのでは?」と思う瞬間も多々あり、本当に色々な事を思いました。
しかし、そのことが吹っ飛ぶようなジュリーのサプライズ発言!博多に引き続き、内容はしっかりと頭に叩き込んできましたので(笑)、今回もトーク内容のみの文字おこしを行います。私の色々な感想は次回掲載予定ですのでどうかそちらもご覧ください!(笑)
~ 開演 ~
ジュリー、ロングコートを纏い颯爽と登場!超満員の館内を見回し両手で丸の円を作り(合格サイン?)3方向に笑顔!館内大歓声!「勝手にしやがれ」!
~2曲目 「愛しい勇気」終了~
ワ~~~ォ!ワ~~~ォ!大変だったね~!みんな大丈夫?(拍手)大丈夫だった?凄い雨でさあ、楽屋でモニター見ててさあ、パラパラだからどうしようと思ったよホントに(爆笑)

それは30分前だったけど。急にみんなやってきたんだね。雨の中ホントに、大変な中、ホント、ホント、ごめんね~(拍手)日取りが悪くて。でもみんなあれだよ!今日のオープニングの音楽に(手拍子が)乱れてなかったよ!(大歓声)
どうしちゃったの?かごんま(鹿児島)ってそうだったっけ?割とみんな自由な雰囲気じゃなかった?でも最高!(大歓声)ありがとう!ありがとう!ありがとう!じゃあ、頑張ってやるよ!後期高齢者でもやるときはやるのだ!(拍手)
これから紹介するのは後期高齢者ではないですけど、高齢者ばかりでもないです!(バンドメンバー紹介。ジュリーの振りにドラムの斉藤有太さんが大爆笑)
~ 休憩終了 ~
ハア、ハア、ハア、、、、もう78になりましたよ。(拍手)あのう、、、え~~、、、こないだの誕生日の日に、、、、、、、鹿児島に来てたんです。(館内大きくどよめく)誕生日にですね、え~~、僕のプライベートな事なんですけど、え~、え~、、、、(笑)というのもね、、、、(ジュリー、何か思いつめた表情、館内も静まり返る)
僕が、こんなに鹿児島のことを大好きに(大拍手)なったきっかけを作った男が6月25日に亡くなりました。(涙をこらえ、絞り出すように声を発するジュリー。館内どよめく)
ギリギリ、ギリギリ間に合ったんかな?もう、そいつの顔はいつも知っている顔ではありませんでした。
覚悟はしていましたが、、、、いろんなことを思いました。初めての出会いは加瀬邦彦さんのお宅で、初めて会って、まあ、こういう過激なロックが好きなんだ、と思って、僕はタイガースをやめましたが、その時から、鹿児島に来た時に2人で、、、あの、、、長崎鼻か(鹿児島最南端の観光地)。

あそこまで行って2人で、、、、太平洋に向かって(急におどけて)チョロチョロチョロっと(用を足す?)、、、、(笑)よく考えたらまだ沖縄も返還される前で「ここが日本の最南端やぞ!」と、言われて、、、、でもよく考えたら与論島(鹿児島県大島郡与論島)もあるんやけど(笑・ジュリーも笑う)

そんなこんなで、で、僕が「リボルバー」という映画を鹿児島で撮ることになったときに、毎日彼の職場に御馳走になりに行きました。毎晩です。それでも嫌な顔一つせず、それ以来、もうこいつとは一生の付き合いになるんだろうと、、、、、(ジュリー・嗚咽)
もうちょっと!
お前俺より年下やん!
いつも言ってました。俺(ジュリーの)葬儀委員長は自分がやる。だから、オイ(鹿児島弁・俺)の葬儀委員長は沢田さんがやってくれ。、、、高いぞ~~(笑)と言って笑っていましたが、もうそんな葬儀委員長も何も無かったです。。。。

1日だけ(鹿児島に)行けたんですけど、その日しか取れなかった。僕の誕生日はその「いっせいさん」の命日や!(嗚咽)、、、、あいつはそれを選んで死んだんかな?

分かりませんが、いつも言ってました。「俺の葬儀の出棺の時には、『君をのせて』をかけてくれ、、、、※ ジュリー、前奏を含め『君をのせて』をアカペラで熱唱。一部少しだけ歌詞をアレンジ。
チャララ、チャラララ~、チャララ、チャラララ~・・・
風に向かいながら、皮の靴を履いて。。。スニーカーじゃダメなのかな?(笑)
肩と肩をぶつけながら、ふたりだけで歩く。
僕の地図は破れ、くれる人もいない。
だから僕ら、肩を組んでふたりだけで、歩く。
君の心ふさぐ時には粋な粋な歌を歌い。
ああ~ああ、君をのせて夜の海を渡る船になろう。
ああ~ああ、君をのせて夜の海を渡る船になろう。
ああ~ああ、君をのせて夜の海を渡る船にな~ろ~う。(拍手)
・・・・・・・・・・・・・
死んじゃったらねぇ。
・・・・・・・・・・・
まあ、今回のツアー、初めて1日おきで回る訳ですけど。その土地の気温、泊っているところの空調、そういうのがどんどんどんどん、なんか機械が変わってやり方が変わってくると、ホントに(クーラーの調整が)難しいなあ、と思ってます。
松山やって、神戸やって、福岡やって、1日置きにやって来たんですけど、マスクも持ち歩いていつもつけているんですけど、コンディションを整えるのが本当に難しいな、と思いました。
それはともかく、これから続けていく上で、自分では進んでいくつもりではあるんですが(拍手)だから何でこんな話をしたかと言うと、皆さんに元気でいてねという話をしたかったんですけどね。
だから、ホントに、、つまんないよ!、、、今まで僕のことを見守ってくれた皆さんが、客席にいてもらえるという事が、どんなに自分の心の安全になっているか。僕は、多分もう、この仕事しかできないので、この仕事をやり切って終わろうと思っています。

それで、とりえあずは、80までとか言って、それはもう来年は79だから、再来年になると80になる訳よ。例えばそれで一区切りつけるじゃん?一区切りつけても、80になっても「これで引退します」と言わないわけよ。
で、81になったら「第一回引退興行」って(笑・拍手)で次の年には「第二回引退興行」で、その次の年には「第三回引退興行」(笑・拍手)ですからねえ、皆さんもうかうかしてられないですよ!元気でいてくれないと。
ですからそのことをね、お願いしに全国回っているんですよ(笑・拍手)で、僕は最後に、一人だけでも聞いてくださるお客様がいらっしゃったら、、、というタイプの歌い手ではないんですよ。(爆笑)

数々の輝かしい経歴!(笑)数々の顰蹙を買う発言(爆笑)そんな奴、おまへんで!(拍手)まあ、これからはね、若い人はどんどんやりたいことをやればいいじゃないですか!世界を相手に。
「配信」というものがあるんだから、だからそれでもって世界中で人気を博す。昔はね、イギリスだって、フランスだって、スペインだとか、ドイツだとか、行くんですよ。で、ラジオに出たりするんですよ。
そんなことをやっていた時代を考えると、も~~~おねえ、たまったもんじゃありませんよねえ(笑)僕の場合は世界なんか相手にしてませんから(笑)全然んん、相手にしてません!(笑)

ですからねえ、僕がいくら頑張ったって、、、、、あ、言い忘れてたかもしれんからもう一度言っとこう(笑)
僕がどういうタイプの歌い手かと言うと、いつも超満員のお客様の前で歌う歌い手!(爆笑)で、これは僕一人の努力ではできないんですよ!いくら頑張ったって。なので皆さん、死なないでね(笑)
死なないでください、そして元気でいていただかないといけない。(ジュリー、急にせき込む)だから、今まで生きてきた経験を活かして、知恵を絞って、元気でいられるよう、ちゃんと食べてくださいよ。

水も飲んでくださいよ!それから時には耳を揉むのもいいんだから。肩揉んだりねえ、いろんなことがあるでしょう。だから、サプリメントとかに頼るよりもいいかもしれないけど、高くつくでしょ!(またせき込む)(笑)
ですから、ホント、元気でいてくださいね(拍手)元気でいてください!元気でいてください!元気でいてくださ~い!それねえ、よく自分で思いついたと思うんですよ。それは危険も伴っているんですよ。

それは努力だけではかなえられない、皆さんと歩んで生きるという仕事をしないといけないという事だろうと思います。それは、コンサートに限ってでもありますし、いろんな仕事のしかたとか、いろんなことを皆さんに評価してもらいながら、頑張っていけるものなら頑張って生きたいと思っています(拍手)
♪ 風に向かいながら、、、(拍手)
本当にありがとうございました!(大拍手)

以上でございます。「いっせい」さんというのは私自身で調べたところ「この人だろうな」のは分かりましたが、ここでは書かないことにします。ただし鹿児島市でのある分野においてはかなりの著名な方だったようです。
上に挙げたジュリーの言葉は、部分によっては静寂が続き、絞り出すように言葉を発する場面も多々ありました。また何ヶ所か「嗚咽」という言葉を使いましたが、声を出して号泣した、とかいう訳ではなく思わず声が出てしまった、という感じです。うまく表現できているかなあ。。
如何でしたか?今日はこんなところです。次回は博多・鹿児島のライブを通じて私が感じた事・思ったことを(ようやくだ!)書いてみたいと思います。そちらもどうぞよろしく!
それでは、また。
