こんにちは、みやけです。今回は沢田研二さんのお話、そして新作です!、、、、というか以前に書いた内容が大半なのですがそれを一つの回にまとめたとという感じすかね?
私がジュリーが好きな理由についてです。その圧倒的なカリスマ感、歌唱力の高さ、追従を許さぬビジュアル、、、当初はご多分に漏れず一般的に語られるような前に挙げた魅力について好きだったのだと思います。しかし、しばらく経ってから、何となくは感じていたものの徐々に開放していった彼の隠された魅力の方にも同じくらい虜になり今に至っています。今回はその話です。
今更言うまでもありませんが、「勝手にしやがれ」以降もジュリーはヒット曲を連発。個性的な衣装も曲をリリースするたびに話題になっていました。1977~1982年の間は歌謡界、いや芸能界の頂点に立っていたと言っても過言ではないと思います。流石に勝手にしやがれ以上の大ヒットまでは恵まれませんでしたが、それでも「高止まり」の状態のまま「No1」の座をキープしていたと思うのです。
そして80年代に入ったあたりからややレコードの売り上げに陰りが見え始めた感がありました。レコード売上げも30万枚にも中々届かない状況が続きました。そして私にとっては屈辱であった1983年。ジュリーの出した3曲すべてが全くオリコン10位以内にランクインせず、ザ・ベストテンにも登場しないという状況が発生しました。
「背中まで45分」は単純に井上陽水さんとは肌が合わなかったのだ、自身を納得させることは出来ました。まあ、どうせシングルを出すのなら「ジャスト・フィット」みたいなアップテンポの曲を出してもらいたかった。と思ったものでした。
しかし次の「晴れのちBLUEBOY」は聞いた瞬間その良さが全く理解できず(今ではとても良い曲だと思っていますが)、「今年ヒット曲は全く出ないのでは?」とかなり不安な気持ちになったものです。そして秋の勝負曲は「決めてやる今夜」。原点回帰っぽくは見えるたのですが、なんというかあまりに「狙いすぎ」の感があった曲でした。大元は良い曲だと思うのですが、なんだか間延びしている上、歌詞が薄っぺらく聞こえてしまったのです。
結果3曲連続でオリコン、ザ・ベストテンでの10位以内にランキングせずという私にとっては実にショッキングな事実を突きつけられました。そしてその後の「どん底」「渡り鳥はぐれ鳥」の売上も低調。この頃から私はザ・ベストテンを視聴しなくなりました。同時に芸能界におけるジュリーの存在も「実力・人気NO1」から「大ヒットを連発した大御所」にややシフトチェンジされてしまった印象があります。
そして同時期に発生した前妻との離婚騒動、ジュリーが追いすがる報道陣に冷ややかな態度を散る映像が何度もワイドショーで流されました。あんなに目が三角になったジュリーの顔を連日見るのは本当につらかったですね。そして9月頃からほぼテレビへの主演は亡くなり、新曲「アマポーラ」は紅白で歌ったのみ。そして翌年秋まで休養する事が発表されました。
そして1985年7月。ジュリーがテレビに返ってきました。復帰の場所は「夜のヒットスタジオ」です。その間独立問題等も悪い感じで報道されジュリーのイメージは決して追い風ではなかったのです。「心を病んでいる」というひどい報道も目にしました。私は久しぶりのジュリーの姿を見るためにリアルタイムでこの番組を視聴しました。
かつてのハデハデ路線で行くのか?それとも聞かせる歌手への転換を図るのか?ジュリーの衣装と表情に注目しました。
最初に歌った曲「はるかに遠い夢」。とっても情緒的で色気のある歌で、私は今でも大好きな曲です。自身の車の中でもよく聞いています。阿久悠・大野克夫の黄金コンビの作品です。ジュリーはかなりロングヘアになっており、かなり緊張しているように見えました。そして感情をかなり抑えているように見えました。
そして衣装は黒ベスト&パンツと白のシャツのツートン。とっても似合っておりジュリーでしかできない着こなしをしていたと思うのですが、バブル直前の浮かれた時代においてはなんだか違和感がありました。言っては何ですが喪服の色合いですからね。
「はるかに遠い夢」の歌詞は以下の内容です。私は後年何故復帰一発目にこの曲が選択されたのか?物凄い演繹的推理をしてしまったのですが、それは最後に書きます。
タイトルも知らぬのに口ずさむシャンソンは雨と日暮れの悲しみに似合う女の歌。
はるかに遠い夢の日を小さな椅子で思い出す。あなたが居たらよく笑う女のままでいたでしょう。
いい事だけの思い出がLa Lai La Lai。。。
心だけ寒いのは温めるすべがないその事をあなただけ知っていたはずなのに。
軽やかな足取りで駆け上る階段は靴の響きもデュエットで嬉しがらせていた。
はるかに遠い夢の日を一人の部屋で手繰り寄せ。あなたのいない広さだけ両手で測るマネをする。
おどけた後のむなしさがLa Lai La Lai。。。
いい夢を捨てるのは嘆きより難しい。その事を誰よりも知っていたはずなのに。
はるかに遠い夢の日を小さな椅子で思い出す。あなたが居たらよく笑う女のままでいたでしょう。
いい事だけの思い出がLa Lai La Lai。。。
私は最初は違和感を覚えましたが、あまりにジュリーが切なく、何かを訴えるように歌うのを聞き段々と強烈に引き込まれて行きました。まだこの時点ではライブに行ったことは無く、私自身「ハデハデジュリー」か「バラードをしっとり聞かせるジュリー」でしか分かっていなかったのだと思います。その時「なんだこの魅力は?」と思ったものですが、だいぶ後になってそれが「怒り」更に言えば「恨み」という感情について、なんとかそれを押さえつけながらエンターテイメントに仕上げている美しさ、それが私を引き付けたのではないか?と思ったのです。
大胆に想像すれば、「人がせっかく築き上げた”ジュリー”という芸術品を滅茶滅茶に壊しやがって、、、よーしこれからは過去の栄光にとらわれず好きなように歌ってやる!」というメッセージが「この2曲」に込められていたのではないか?と思うようになりました。
歌い終わったジュリー。直後は本当にホッとしたようでした。相手は気心の知れた井上順さんと芳村真理さんですので、復帰時には適した司会者だと思いましたが、それも話し出すと段々表情がまた硬くなってきたように思いました。目をどことなくうつろに見えましたし、これは見た当時の20歳の私の感想としても「ふわ~っとして元気がないな」と感じました。
当時の私は「ジュリーはこれまでとは違う方向に走っていくのか。。。」そう感じました。その後のジュリーの足跡を見れば他者にそう思わせたのは充分な”演出”だったのかもしれません。順さん、真理さんがジュリーのメンタルに非常に気を遣いながら、どれだけ皆が復帰を待ち焦がれていたか訴えているのが非常に印象的でした。そして2曲目「灰とダイヤモンド」になるのです。
この曲は「作詞・作曲 李花幻」となっています。広く知られている話ですが、同曲の詞があまりにも当時の沢田の真情をリアルに描いているため、あえて沢田本人のみならずファンにも作品から距離を置かせるためにそのようにした、との事です。内容は男女の関係を描いたものとはいえ、自分自身と周囲に「昔の事は忘れて自分のやりたいようにやればいいんだ!」と訴えるような内容なのですね。
ジュリーファンでも色々な見方があるとは思いますが、私にとってはこの時のジュリーは本当にかっこいい!今まで見たジュリーの中で一番のカッコよさです。あれだけのスーパースターが苦しみの中から新たな方向に向けて満身創痍で立ち上がろうとしている姿、そして怒り、更には隠された恨み。端正なジュリーの表情の中に色々なものが内包されているのですよね。
喋るな憂いが薄れてゆく 動くな艶が失せてゆく。衣装で育ちは隠せやしない 僕たちいつも妖しかった
魔性の微笑み忘れてしまい OHお喋りに お戯れに あいつ! こいつ!
好きなように楽しみなさい 笑いなさい 素敵なこと。先の事など忘れてしまえ
嫌いな事 お辞めなさいお泣きなさい可愛いよ。僕の目の届く処でなら
シャララララ 許してあげる。シャララララ お前のすべて
黙るな景色に溶けこむな 辞めるな時代に逆らうな。仮面で心理を隠してみても 僕達みんな狼だった
獣の叫びを忘れてしまい OH。酒に飲まれ人に飲まれ どいつ! こいつ!
好きなようにおやりなさい叫びなさいそれでいい。想い出だけが友達じゃない
嫌いな事は辞めてしまえ涙流せ愛嬌だよ。君の命の求めるままに
ではそろそろ私の推測に入りたいと思います。あくまで私の一方的な独断です。
この後にリリースされるアルバム「架空のオペラ」は作詞に松本一紀さん、阿久悠さん、高橋研さん等を起用。作曲は「灰とダイヤモンド」以外は大野克夫さんであり、イメージ的にはジュリーの全盛時の雰囲気をまだ踏襲しています。なぜ一発目に「はるかに遠い夢」だったのか?この曲は男と別れた女性が今まで2人で済んでいた部屋を見ながら過去の楽しい思い出を何度も何度も思い出す歌です。
そのような歌を黒と白といういわば「喪服」のような衣装で歌うジュリー、、、これは「過去の輝かしい思い出を自ら葬り去る」というメッセージではないかと思うのです。阿久悠・大野克夫の黄金コンビの歌をあえて復帰第一曲に持ってきたのはそのような意味があったのでは、、、「あの一等賞のジュリーが帰って来た」と訴えたいのであれば「勝手にしやがれ」や「時の過ぎゆくままに」「カサブランカダンディ」を歌うのがいいと思うのです。
ただしその事をストレートに口にすると関係者にあまりに失礼なので、このような設定を取ったのではないかと思うのですよ。はるかに遠い夢→過去との決別、灰とダイヤモンド→好きなようにやる、というメッセージという訳です。
もっと言えば、ジュリーは過去の栄光を完全に捨てようとしたわけではなく、「それにすがって生きるような真似はしたくない」という事を訴えたかったのではないかと思います。その後のジュリーの足跡を見ればそれは明らかです。
以上が私の見解です。どこにそれを立証するような文献がある訳でもなく私が一方的に思っている事なのですが、何度考えてもそう思えて仕方がありません。
そして、私がそれなりに年を取ってから見ると、この時のジュリーには「怒り」「恨み」をヒシヒシと感じます。私も「怒り」と「恨み」がベースにある人間ですから良く分るのですよ。
今日はこんなところです。それではまた。
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