きっと誰かが見ていてくれる。

こんにちは。みやけです。私は金曜日から日曜まで妻の実家である鹿児島に行って来ました。最大の目的は妻の母が今年3月に長年住んでいた鹿児島市内のマンションを引払い、高齢者施設に入居しているため7ヶ月ぶりに顔を出し挨拶に行くためでした。

妻側の父も健在ではあるのですが、既に義母とは離婚しており、別に家庭を持っています。まず金曜は義父側の先祖が祀られている鹿児島県垂水市の某寺院に向かいました。昼食を取る為入店したのが「海の桜勘」という海鮮料理店。

垂水で取れる魚で有名なのはカンパチ!画像は10食限定の桜勘定食。1500円なのですが、カンパチの刺身は明らかに取れたてで新鮮度が半端ない!場所がちょっと分かりにくいのですが、垂水で魚を食すのであればこのお店が一押しですね!

ご先祖にお線香をあげた後鹿児島市内にフェリーで移動。夜は義父夫妻、妻、妻の妹を交えての食事会でした。久しぶりの黒豚しゃぶしゃぶ!

義父は元は鹿児島県庁のかなり偉い立場の人だったのですが、ハードな公務中に脳梗塞で倒れ、何とか命は助かりましが顔の左半分に麻痺が残ってしまいました。そのときから20年以上経過しているのですが、懸命なリハビリにも関わらず、発声が不明瞭です。

義父は目立ちたがりでお調子者一面があり、歌が大好き。自費出版でCDを作成し親戚や仕事関係の人に無理やり?配ってしまうかなり“イタイ”人なのですが、華やかな立場にありながら、一転顔面麻痺というどん底に突き落とされながらも地道にコツコツとリハビリを行い、少しずつ発生を取り戻そうとしている姿には心を打たれますし、ずっとリスペクトしています。

しかし私は義父と会話するといつも緊張します。義父は私に対して自分の気持ちを伝えようと一生懸命話してくれるのですが、あまりに会話が不明瞭で中々聞き取ることが出来ず、かと言って再三聞き直すのも申し訳なくとても苦しい気持ちになります。

妻が横にいればある程度“通訳”してくれるのですが、義父は私の目をぐっと見て喋ってくれるので、それについて妻の方を向き聞き直すのは本当に申し訳ない気持ちになるのです。でも私は義父のことが好きですし、義父もなんとなくですが私に好意を持ってくれているような感じがしていました。

食事会の席で、私はこの夏マンションを購入しており、来年の3月に引越す事を報告しました。すると義父はニコニコ笑いながら(以降妻通訳)「君のことはいい人だなとずっと思っていた。君みたいな良い人が自分の力で家を購入されたのは本当にめでたいし、私も嬉しい」と言ってくれたのです。

そして、義父が私に好感を持ってくれたのは、とある一つのエピソードだという事を話し出したのです。

それは8年前の実の父の葬儀の時のことでした。長男の私は喪主として慣れない業務をこなしていたのですが、その時あまり体調が良くなかった義父が福岡から単身日帰りで弔問に来てくれたのです。義父は葬儀に参加し火葬場に行く前には帰る事になりました。

妻側の親族の出席者はあまり来られていなかったので、義父のサポートは妻が対応していたのですが、帰りのタクシーが到着し葬儀場から離れる際は私自身が見送りに行ったのです。義父がタクシーに乗り込む直前私は義父へのお礼の言葉を述べようとしたのですが、その時私の携帯がなったのです。

実は私はその時のことはあまり覚えていないのですが、その電話は葬儀社からのもので、ちょっとした行き違いがあり、私がなんらかの決断をせねばならない電話だったようです。私はやむ無く電話を取ったのですが、状況を察知した義父は「もう私は大丈夫だからそのまま電話を続けなさい」とゼスチャーで伝えたらしいのです。

その時私はとても申し訳なさそうな顔をして、電話への会話を続けながらスマホを耳元から放し、義父に対して声は発せず、口を動かすだけの動作で「本日はわざわざありがとうございました。父も喜んでいるはずです」というようなことを伝えたようなのです。私は全く記憶がないのですが。。。。

そしてその際、義父はバタバタしている中での私の精一杯の行動にとても誠実さを感じ、常に温かく見守ってきた、というのです。そんな話を目を見て訴えられて少々気恥ずかしかったのですが、それでも大変嬉しく思いました。

私がなんらかの魂胆の元、下心を持ちながら取った行動ではなく、咄嗟の瞬間慌てて取った行動が相手に強い好印象を与えたというのはグッとくるものがありました。私も56歳になり人から褒められる事は滅多になくなりましたのが、元来承認欲求が非常に強い男ですので評価される事は何より嬉しいのです。

でもこれは、根本的に私が義父をリスペクトしていた、というベースがあったから、そのような印象を持ってもらったと感じています。

私は実の父も母もこの世からいなくなってしまいましたが、義理の父からこのように見守ってもらっているのは本当にありがたい話です。出来るだけ親孝行していかねば、と強く感じました。

そして翌日、今度は義母が暮らす老人ホームを訪問しました、私も妻も入所した3月以来の面会です。義母は軽度の認知症を患っているので、正直会った瞬間私達のことを覚えていないというリアクションになる事は覚悟していました。

妻がそう思っていたのですから、私は尚更です。しかし義母に会うと私達のことは覚えてくれていました。私は「前より太った?少し恰幅が良くなったね」と声をかけられました。いや、、、、前回3月に会ってから顔面麻痺にかかって入院したので、その時より4キロ位痩せているのですが、、w

でもまあ、認知症患者が昔のことはよく覚えていても直近のことの記憶がないはあるあるです。義母は健康状態も良さそうでした。そしてそれ以上に表情の怯え、険しさが消えて温和な印象になっていたのにホッとしました。

義母はずっと妻の妹と同居していたのですが、認知症で生活面のいろいろな事が出来なくなり、どうしても妹からの当たりがキツくなり、毎日のように怒られており、表情が凄く暗くなっていました。

自分で購入したマンションから出ていかねばならぬのも辛かったと思いますし、そして自分の子供から罵倒される毎日。私個人としては一刻も早く施設に入れてあげるべきだ、と思っていました。終始リラックスした義母の表情を見てつくづくそう思いました。

みんなで昼食を取り、それから義母の衣料品関連のショッピングを行って義母と分かれました。義母は私を覚えていてくれる感じでかつ私が長時間運転して鹿児島まで来てくれたことにとても恐縮していました。義父からも義母からも心からの感謝を示され私は幸せでした。

私はあまり気がきくタイプの人間ではないですし、相手の目を見て喋るのも苦手です。でも接触する時間はあまり多くなかったのに義父や義母からいい印象を持ってもらっているのはとても嬉しいことです。しかし自分なりにリスペクトしてコミュケーションを取ってきたつもりですが、ちゃんとその事を汲み取り行動を見ていてくれたのは嬉しい限りです。

2人ともどうか長生きされてください。

今日はこんなところです。それでは、また。

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