こんにちは、みやけです。今回は久しぶりにプロレスの話です。国際プロレス・全日本プロレス・SWS等で活躍した”はぐれ熊”鶴見五郎選手についての考察です!

鶴見五郎については以前のブログでも大方同じ内容で書いておりましたが、そのデータが全て消失したため書き直しの回という事になります。と言っても内容は全て無くなっているため、思い出しつつ補足していく、という事になるのですが、、、そして今回も全日本時代に限っての考察となります。私は国際プロレス時代は一切生で見ていませんので。。。
個人的には鶴見選手は石川敬士選手と並んで80年代の全日本中堅選手の中で最もプロレスが巧い選手と思っています。その点を踏まえ、エピソードを交えながら鶴見の魅力について語ってみたいと思います。
A 世界最強タッグ計4回出場・3年連続乱入!
鶴見は83年にザ・モンゴリアンと、84年にワンマン・ギャングと(バズ・ソイヤーの代打)、86・87年にラッシャー木村と組んで最強タッグに出場しています。以前も書きましたが、全日本プロレスの中堅選手にとって、この最強タッグ出場は意外にハードルが高い!中々出場できていないのです。例を挙げると
・石川敬士・佐藤昭雄・寺西勇・アニマル浜口 = 0回
・大熊元司・グレート小鹿・ロッキー羽田・渕正信 = 1回
・マイティ井上 = 4回 (77年に高千穂・83年に原・90~91年にラッシャーと組んで出場)
マイティ選手についての最後2回は「SWSへの大量離脱後老体に鞭打って頑張ってくれたことのご褒美」感もなくもないのですが、それでも元々馬場の評価は高かったですから、疑問に思うような選出ではなかったと思います。90年はタッグではあるものの川田からフォールを奪っていますからね。

しかし上記のメンツの中で行くと鶴見は格的に一番下ではないかと思います。羽田にも勝ったことはないですからね。84年は代打とはいえ、このメンツを押しのけて出場するのは周囲のやっかみもあったでしょう。更に86・87年は出場が疑問視もされていましたし。
その中でなぜ鶴見がここまで優遇されたのか?まずは鶴見の立場は常に外国人サイドであった為、リーグ戦での外国人対決はそこそこ新鮮味がある事。後ほど書きますが、リーグ戦中の”夢の対決”は凡戦に終わることが多いですが、鶴見は結構真っ向から外国人にも向かっていく、その姿勢も抜擢の一つの要因だと思います。結果新鮮な展開になる事が多い。

そしてもうひとつ忘れてはならいのが、82年~84年の間、”公式戦でのビッグマッチに3年連続で乱入”していること!列記してみますと。。。。
① 1982年蔵前最終戦 リーグ戦 天龍・原 対 上田・Sデスト 戦
天龍がスーパーを押さえ込むと同時に上田が通路にいた鶴見を呼び寄せリング内に竹刀を2本持って乱入、翌シリーズから1年ぶりの参戦をアピール。
⓶ 1983年蔵前最終戦 リーグ戦 馬場・ドリー 対 シン・上田 戦
試合中セコンドにつき再三乱入し、シン組をフォロー。怒った馬場組セコンドのテリーに追い返されるも、シン組が息を吹き返し両者リングアウト。馬場組の優勝の夢が潰える。
③ 1984年愛知県体育館テレビ生中継 鶴田・天龍 対 馬場・ラッシャー木村
試合中、木村が馬場に攻撃を加え仲間割れ。剛竜馬とともに乱入し、国際血盟軍結成をアピール!
どうですか!一度のみならず3年連続と言うのは凄いと思いませんか?それぞれ「顔見せ」「ひっかきまわし」「仲間割れ」といった異なる状況ですが、シリーズ中の”劇薬”を投入するのに必ず鶴見を起用しているのはどれだけ馬場が鶴見を信用(認めていた)かという事ですよ。
言っちゃあなんですが、鶴見を虫で例えるなら正にGB!戦績だって冴えませんし大物食いもしたことがない。そういう“たいしたことない”ヤツがしゃあしゃあとビッグマッチに乱入してくるのは、変に大物が乱入するよりも観客がヒートアップする、御大はそう考えたのじゃないかと思うのですよ。
そして、その調整を計る為、鶴見は全て返り討ちに逢っているんです。82年は天龍・原の怒りの逆襲に逢い、控室に逃げ帰りましたし、83年もテリーに追い返されました。84年も突如乱入したのはいいが竹刀を鶴龍に奪われボコボコに殴られましたからね。
ご存じのように最強タッグは不透明決着が多いシリーズ。”GB”鶴見が姑息に悪事を働くがあっさり返り討ちに逢って不透明決着のファンのストレスを緩和する、そんな役目も果たしていたのではないかと思います。
B 卓越した受けのうまさ
鶴見の場合、三沢の様な巧みな受けというより「相手の技をより迫力が増すようになるべくモロに受ける」という点では大変秀でた能力があったと思います。
御大の奥方、元子さんは鶴見と阿修羅・原については「馬場さんの16文を見事なまでに真正面からぶち当たって受けてくれる」と2人を大変気に入っていたようです。たしかに両選手とも16文を顎で受け、ハンセンのラリアットを喰らったがごとく後ろに倒れ後頭部を強打する、というムーブが得意でしたからね。

そして私が鶴見のことを「上手いなあ、流石だなあ」と感心するお気に入りのシーンがあります。前にも書きましたが1987年ジョン・テンタのデビュー戦です。
テンタは馬場と組み、ラッシャー木村・鶴見五郎組と対戦するのですが、試合開始早々テンタは俵返しの要領で鶴見のお腹の下に潜り込み、背中で持ち上げ目線の高さで平行状態まで持ち上げます。
約2mの高さで体重130キロの鶴見はうつぶせの平行状態で伸びきったのですからさぞ怖かったろうと思うのですが、テンタはなんと鶴見を無造作にそのままの状態でマットに落とすのです、お腹で受け身を取る鶴見!大変な衝撃だったと思うのですが、鶴見はいったん場外にエスケープした後、直ぐに試合に復帰するのです。
この試合が行われた時期はもうプロレスブームは去りつつある時期でしたが、まだギリギリゴールデンタイムで放送されており、ファンでない友人たちもたまにはプロレスを見ていたようです。私はこの試合を見た翌々日(月曜)この凄さを友人達に説いて回ったのですが、一様に無反応でした(苦笑)
しかし数年後、御大が週刊プロレスのインタビューの中でジャパン軍について振り返り「小さな日本人同士でごちゃごちゃやっているよりも、(大きな)テンタが鶴見をバ~ンとぶっ飛ばした方がお客さんは喜ぶんですよ。」と語っているのを見たときは、明らかに「この試合のことだ!」と思いました。

本当にお客さんの好みがそうだったかは置いておくとして、危険を顧みずより迫力が伝わるように受け身を取る、というのは評価が高かったのでしょう。落とされながら身体を少し半回転させて最終的には背中で着地する、という方法もありますしね。
その他、鶴田のフライングボディシザースドロップを真正面から高い位置で受ける。天龍の延髄斬りを当たった瞬間硬直して前のめりに倒れる。タイガーや川田のプランチャーを場外で朦朧としながらさりげなくリングサイドに近づきがっちり真下で受け止める。マイティ井上のサンセットフィリップの直前、塩梅の良い位置に倒れ込む。等技を受けるにおいて実にきめの細かい動きをしていたことが思い出されます(笑)
こんな書き方をすると誉めていないように思うかもしれませんが、最大限の賞賛なのです!選手の落下技、例えばサンセットフィリップにしても下手な選手は良いポジションに移動するのに背中をずって足で移動したりしますがこれは興ざめなんですよね。鶴見のように前後の流れに沿って上手い事一発でその位置に行かなくては!

私は1989年のチャンピオンカーニバルにて「鶴見五郎対ジョー・マレンコ」という非常にレアなカードを観た事があるのですが、ラフ攻撃で攻め込みながらも微妙に隙を見せて、ジョーの投げ技への立ち位置をうまいこと取っていたのに感心したものです。
まあ、これはプロレスの奥の部分に突っ込んだ見方ですが、いろいろな場面で鶴見は戦う相手にとってやりやすかったと思いますよ。
C 超獣コンビも蹴散らす地獄突き
それでは鶴見の全日本プロレス時代の最大の見せ場と言ったらどの試合になるでしょうか?おそらく1983年新春ジャイアントシリーズの最終戦、対阿修羅・原戦をあげる方が多いのではないでしょうか?
最終的には丸め込まれて負けるも、鶴見はトップロープからの雪崩式バックドロップという当時としては初見の技を披露し、原から幻の3カウントを奪った試合です。この部分以外でも気迫あふれる試合でしたし、国際でも下手をすると第3試合目あたりで行われていたカードが最終戦後楽園のセミを張ったのは胸アツでした。

私もその意見には同意しますが、絶対に落とせない試合がもう1試合あるのです。それはやはり1983年の世界最強タッグ決定リーグ戦。札幌大会での対ハンセン&ブロディ戦です。(パートナーはザ・モンゴリアン)
この試合、鶴見組は押されながらも要所要所で反撃を試み、鶴見はハンセンに対して地獄突きの連打で後ずさりさせ、最後はロープに振り大見えを切ってのカウンターの地獄突きをハンセンに叩き込み館内の歓声を浴びます。正に向かうところ敵なしだった超獣コンビに対して存在感を見せつけた非常に爽快なシーンでした。
ご存じかと思いますが、通常超獣コンビは中々相手に見せ場を作らせません。それが鶴龍やファンクスであったとしても。作ったとしてもせいぜい1ターンであり、直ぐに攻守を引き戻されてしまいます。それゆえこのコンビの希少性が高まり、未だ持って「史上最強のコンビ」と評される所以ではないかと思います。
しかし、鶴見は連打をハンセンに食わせ、あろうことか大見えを切ってのとどめの一発を決めるという快挙?を成し遂げました。ハンセンが高く評価していた極道コンビも翌年の福岡ではほとんど攻めのシーンを披露することなく秒殺されています。

石川がブロディにサソリ固めを決めたことがあったでしょうか?マイティがハンセンにサンセットフィリップを決めたことがあったでしょうか?これはやはり超獣コンビが鶴見を高く評価しており、見せ場を作らせても十分である、と判断したからではないかと思います。
超獣コンビにしてみれば、鶴見は特に馬場への忖度を考える必要のない「仲間の一人」という位置づけではなかったかと思います。繰り返しますが、後年ハンセンが極道への高評価を語りながらも福岡では見せ場を与えなかった事を考えれば、鶴見の高評価ぶりが分かるのではないかと思います。
D 圧倒的なやられっぷりの良さ!
最後はこれになりますよ!とにかく鶴見は試合で自身が勝つシーンはごくごく稀で、試合中は怒涛の如く攻め込みながらも一瞬で負けてしまうのが鶴見の最大の魅力だと思います!まずは鶴見のシングルマッチの成績を抽出してみました。彼が最もコンデションが良かった1983~4年に期間を絞っています。
対 馬場 なし
対 鶴田 4敗(全てピン負け)
対 天龍 3敗(全てピン負け
対 原 7敗(5ピン負け・2反則負け)・両リン2
対 井上 2敗(ピン前負け・1反則勝ち)
対 石川 3敗(2ピン負け・1反則勝ち)両リン1
対 大仁田 2敗(2反則勝ち)
対 羽田 1敗(ピン負け)
対 マジックドラゴン 1敗(反則)・2両リン
対 渕・大熊 1敗(いずれも反則負け)
対 セブン・越中・後藤 それぞれ1勝(全てピン勝ち)
ご覧のように、まともに勝っているのはセブン・越中・後藤といった前座クラス。鶴龍に歯が立たないのは仕方ないとして、羽田にはピン負け、Mドラゴン・大熊にも勝てていないのはきついですね。そしてタッグでも鶴見自身がフォールを奪うケースと言うのはほぼない!
ひと言で言うと
とにかく負けっぷりがいい!
天龍や原との試合は何度かテレビ中継されましたが、とにかく試合のほぼ全般でガンガン鶴見は攻め込むんですよね。しかし一瞬のスキを突かれて相手の必殺技をもろに喰らってしまい、あっさりピンフォール負け!このパターンが大半なんです。
そしてこれが実に心地いい!(笑)鶴見がガンガン攻め込めば攻め込むほど、相手のフィニッシュの意外さ・鮮やかさが際立ちます。その状況について、格好のシーンがあります。1984年チャンピオンカーニバルⅡ大阪大会(メインは鶴田対ロビンソンのインター戦)での原・石川対鶴見・バズタイラーのアジアタッグ戦です。
このシリーズ中石川は右指を負傷しており、数試合欠場。包帯グルグル巻きにしてアジアタッグの防衛戦に挑みます。しかし急造チームの鶴見組のコンビメーションが意外によく、石川は防戦一方。再三かなり長いローンバトルを強いられ、原への交代はままなりません。
更に鶴見組は隠し持った凶器を巧みに渡しあい、それで石川の右手を執拗に攻めるのです。関節技も駆使し実にフラストレーションの溜まる展開!しかし一瞬のスキをついて原にタッチ!気合十分の原はタイラーに破壊力十分のカウンターラリアットを打ち込みます。

「ここで一気にフィニッシュへ!」と誰もが思いましたが、なぜか原は直ぐに石川にタッチ。ダメージの深いタイラーも鶴見にタッチします。休養十分の鶴見。早速右手への地獄突きの連打で再度石川の動きを止めるのです。
観客的には「どうしてまた石川に、、、、」と思ったところ、鶴見が石川の右腕を持ち上げアームブリーカー気味に再度右指を攻撃しようとしたところ、石川はするりと身をかわし電光石火の逆さ押さえ込み!これが実に見事に決まり3カウント!鶴見・タイラーは荒れ狂い日本陣営に襲い掛かりますが後の祭りです。
この試合、「名勝負」と言うほどでもないですし、後日振り返えられることもあまりない試合です。私はリアルタイムで見た口なのですが、実にリズミカルで素晴らしいテンポの試合です。最後は原とタイラーの絡みで終わると思わせ、満身創痍の石川が鶴見をしとめる!という意外性も良い!全て鶴見の緩急をつけた動きがこの試合の心地よさに拍車をかけていると思います。
この試合はたまたま例に挙げましたが、この頃の鶴見はまだ体重も増えていないし、動きも軽い。相手にしたら「勝手に理想的なおぜん立てを作ってくれる名選手」であったと思います。
E 平成時代の鶴見五郎
馬場に重宝されていた鶴見ですが、1984年末全日本入団したばかりのラッシャー木村が造反し「国際血盟軍」を結成。鶴見は副将として木村をサポートしつつ、サブメンバー?のシンや原とも共闘します。しかし1988年末に馬場と木村が再度タッグ結成。取り残された鶴見?は小橋や菊地ら若手とシングルマッチをこなしたり、井上・寺西をタッグを組んでみたり、たまには木村とのタッグを復活させたりして煮え切らない?時期を過ごします。

そして1989年秋ごろにはちょっとした「格のシャッフル」が行われます。マイティ井上・寺西勇・鶴見五郎の国際トリオなのですが、この3人の「格」は井上>寺西>鶴見でずっと変わらなかったと思います。しかしこの時期、たまにですが、鶴見が井上に勝ったり、寺西が井上に勝ったりするケースが出始めるのです。
この件はあまりフューチャーされませんでしたね。なぜこのような状況が急に発生したのかは分かりません。長年全日本に貢献してきたマイティ井上にとっては不利益しかない扱いですからね。寺西はともかく井上と鶴見では格の差はかなりあったのに。。。
しかし、思い返せばこの翌年、マイティ井上は対天龍同盟の切り込み隊長として抜擢され、タッグとはいえ川田・冬木から次々ピンフォールを奪うのです。”調和”を重んじる全日本としては、ここで帳尻を合わせたとか?それは読すぎですかね?
話を鶴見に戻しますと、この頃から体重増が顕著になっていた気がします動きの切れも悪くなった。1890年のスーパーパワーシリーズ。天龍離脱直後のシリーズですが、鶴見は久しぶりにシンとタッグを組み、ブッチャー・スカルパ組と闘う試合がオンエアされましたが、連携もいまひとつで、かつての”切り込み隊長”の面影はなかった気がします。
その鶴見は単身でSWSに移籍。ジョージ高野との意外な名勝負が話題になったりもしました。この試合は私も後でビデオで見ましたが、鶴見の新たな側面を見ることが出来感心しましたが、若干回復しているとはいえやはりウエイトアップにより動きの悪さは否めなかった気がします。やはり鶴見の全盛時は全日本時代の1983~85年頃だと思います。
更に鶴見を語る上で再三エピソードとしてあげられる「馬場は鶴見のレスリングテクニックに惚れ込み、なんども全日本正規軍入りを勧めた。しかし鶴見は私生活上の理由でそれを固辞し続けた」という話です。しかし私はその話は眉唾だと思っています。
最も動けた1983~86年あたりでしたら、そのファイトスタイルから急に正規軍入りしても違和感が半端なかったと思います。ファンも鶴見の秘めたる実力派認識してはいましたが、仮に正統派に切り替えたとしてもどのような立ち位置で起用されたか?ちょっと想像がつきません。

しかし前座に埋没しかけだした1987~90年は全日本のスタイルそのものが完全決着、及若手への切り替(決起軍、フットルース、小橋菊地北原)時期なので、鶴見をプッシュするとも思えないのです。事実石川引退後は外国人選手の引き立て役は高木・田上に引き継がれだしましたから。。。
もっと言えば、SWS騒動で仮に鶴見が残留したとて重宝されたでしょうか?あの時の人手の足りなさぶりは今でもよく覚えていますが、超世代軍・正規軍どちらに振られるにしても、あの時期の流れにでいけば、明らかに浮いてしまうと思います。
そういえば、木村が鶴見のファミリー軍団入りを直訴する、というシーンがありましたが、結果それは実現しませんでした。まあ、それが実現した場合「馬場・木村・鶴見組」という事になり、なんだか御大が国際血盟軍入りしたようなイメージをになってしまうんですよね。ちょっとそれは受け入れがたいのではないでしょうか?
まあそれはそうと、やはり鶴見は全日本の歴史に残る中堅ヒールだったと思います。特に1983~84年と言うもっとも「日本人対外国人」の構図が輝いていた時代の。唯一不思議なのが「馬場対鶴見」のシングルマッチがなぜ一度も組まれなかったかが謎ですね。評価していたのに。
私的には
① 1983年ジャイアントシリーズ大阪大会 (セミは馬場対ブルックスのシングル)
⓶ 1984年スーパーパワーシリーズ広島大会 (セミは馬場対ムーンドッグ・モレッテイのシングル)
この2大会は馬場対鶴見のシングルがセミでよかったと思います。
後年レスラーの選手名鑑の豊富の欄では「とにかく生きる、生き残る」と書くのが定番だった鶴見。確かにインディを彷徨い出してからもあの手この手を使ってしぶとくレスラー生活を送ってしまましたが、2015年頃から身体を壊すようになり、惜しくも2022年に天に召されてしまいました。
享年73歳。あれだけ生命力の強そうな鶴見五郎にしては早かった印象です。レスラー生活後年はインディを渡り歩いた鶴見ですが、やはり全日本時代が一番輝いていた、と思います。
確実に「記憶に残る」レスラーの代表格でしたね。
今日はこんなところです。それでは、また。
