ジュリーは一生懸命

こんにちは、みやけです。今回は沢田研二さんのお話です。昨年6月25日にさいたまスーパーアリーナで開催されたバースデーライブ「まだまだ一生懸命」を収録したブルーレイが届きましたのでその感想を書いてみたいと思います。

今後、曲ごとに何回かに分けて書いていくつもりなのですが、まずは全体の感想を、、、、兎に角心にグッと来るものがありましたもので。。。

私は会場に行っておりませんし、WOWWOWの放映も見ていませんのでこれが初見という事になります。超満員の観衆を見ると感慨深いものがありました。還暦ライブの東京ドームより観客との距離が近い気がしました。

私は還暦ライブでは大阪ドームでの公演に参加したのですが、あの時は「ジュリーの気持ちに思いを馳せる」というよりは「ついにこんな大きな”ハコ”でジュリーが歌っているんだ」という思いと、更に「今まで生で聞くことが出来なかったあの曲をまた聞ける」という思いで少々浮ついた気持ちであり、そこまでしんみりした気持ちにはならなかった記憶があります。

しかし今回は私自身が年を重ねたせいでしょうか、モニター越しの姿ながらも、ジュリーの想いが伝わってくる気がして、何度も胸が熱くなり目に涙を浮かべてしまいました。一言で言うなら「ジュリーは一生懸命」。。。。ということなんです。

先にネガティブな話をしますと、画像がアップになると「ああ、ジュリーもおじいちゃんになったんだな~」と思う部分は多々あります。見た目だけで言えば目の周辺の腫れぼったそうなふくらみや、頬っぺたの皺、少々広くなった額。。。

更に意地悪な見方をすれば、曲のテンポも以前よりかなりゆっくり目になっていましたし、パフォーマンスでも流石に「走る」とまではいかず、「高齢者の早歩き」という印象は否めませんでした。なんかドナルドダックみたいな。。。でもジュリーはもう75歳!後期高齢者なんです!同じ年の方と比べれば、あり得ないくらい凄い動きをしているのです!

曲のサビの部分で声が切れてしまい、苦しそうにするシーンも多々見られました。しかしドームでの還暦ツアー同様、ヘロヘロになってなんとかやり終えた、なんてことはなく最後まで堂々、見事な声量で歌い切りました、本当に素晴らしい!

(ネガティブな表現はこれまで!以下はジュリーの賛美しか書きませんw)

特に声の張り、艶、高音の伸びは大会場の隅々まで響き渡る素映らしいものでした。上にあげたように部分部分では以前と違う部分があっても「歌」の部分では「スーパースター・ジュリー」のそれをお客さんに落胆させることなくキープしていたと思います。

私は思い立ってこのライブの「TOKIO」「勝手にしやがれ」「時の過ぎゆくくままに」といったベタな曲を、2008年の還暦ツアーの音源と聞き比べてみたのですが、テンポがスローになっている以外は、ほとんどそのパフォーマンスに遜色がない!

なんだかんがであれから15年たっているのですから、大きな変化があっても仕方ないのですが、ここは微動だにしていないのは本当に敬服します。皆さんも機会があれば聞き比べてください!テンポがスローになった以外はお世辞とかじゃなく本当に変化していませんから!

エンターテイメントの世界では往年の大物も年齢にはどうしても抗えなくなります。特にアスリートなんかはそのパフォーマンスは50近くにもなればもはや一般で鍛えている人とそれほど遜色なくなったたりもしますし、老いとは無縁に見えるお笑い芸人や毒舌系司会者等でも高齢になるとその感覚が凝り固まり、若者・中年達からすれば「えっ?」と思うようなことを気づかずに話してしまうものです。

しかし歌手、歌う事というのはギリギリまで高いクオリティをキープできるという事をジュリーが証明してくれました。でももちろんそれは長年のジュリーの努力、ひたむきな人生を送って来た賜物であるのが大きな要因だと思うのです。

この動画を見てつくづく思ったのは、「ジュリーは一生懸命、心を込めて、全力で歌っているなあ」という事です。たまアリで公演する事だけが最大目標であるなら、なるべくいいパフォーマンスが出来るよう負担を軽くし、バラードを中心のセトリとし、宝石をちりばめた豪華な衣装に身を通し、ゲストを沢山呼びお上品に10曲くらい歌えばよかったのでしょう。

しかし、ジュリーは中身にこだわった!衣装も過去の記念コンサートに比べると、カジュアルで簡素な感じのものでした。(ホントは凄い良い生地なんでしょうけど)これって機能重視、ジュリーがなるべく動きやすい様あえてそうしたのではないかと思います。靴も革靴でないように見えますし。。。

しかし、昔聞いた名曲というのは不思議なもので、単に歌が上手い、凄いというのとは別の部分で心にグッとくるものがありますよね。それは自身が無意識の内に、その曲を初めて聞いた時には自分はあんな事をしていたあんな状況に置かれていた、という事が記憶に呼び戻されるからだと思います。

そして楽しい記憶はよく覚えているけれど、辛い記憶や思い出したくない様な嫌な記憶は意識下に封じ込めている事が多い。そんな中で誠実にコツコツと生きている人は昔の歌を聴くとその時キツい状況ながらも必死に生きてきた自分の事を思い出し、「よく頑張ったよね」と労いたくなるのだと思います。

だから、懐メロを聴いて心にグッとくるものがある人は、私を含めて(笑)ひたむきに真面目にそれまでの人生を生きてきた人だと思います。

まあ、それは余談ですが、ジュリーはこのライブを開催した最大の目的はなんだったのか?「ドタキャンで叩かれた事を見返す為、意地を見せたかった」?それもまあ、少しはあるかも知れませんが、それは男の粋な照れだと思います。

ドタキャン事件では、普段ジュリーに関心を持っていない人たちからはえらく叩かれましたが、逆にファンの大半はジュリー擁護派でした。この事に対してジュリーはファンに何かお返しをせねばと感じ、「お互い人生を一生懸命生きてきたLUCKYな高齢者、みんなで通じ合って生きていこう」と訴えたかったのではないかと思います。

ずっと原発関係の歌をリリースしていたのに、ドタキャン事件後に「LUCKY 一生懸命」という自身の集大成を感じさせるシングルをリリース。更にライブははずっとカズさんとの2人体制を続けていましたが、新メンバーでフルバンドを結成。それは上に書いたような心情からではないかと思います。

このライブとても印象的だったのは、終盤「大悪名社中」の演者の方々、南野陽子さんいしのようこさんが壇上に勢ぞろい、その人たちをバックに「河内音頭」を熱唱。最後に本当に本当に心を込めて一生懸命

「ともに、ともに長生きしましょうね~」

と歌っておられたのが大変印象的でした。スーパースター・ジュリーが博多・中洲の法被を着て下界に降りてきて皆への感謝の言葉を述べてくれたのです。ブログ最上段の笑顔の画像がその時のものです。本当に良い笑顔です。歌っている最中は全盛時を思わせる気迫あふれる表情の連続だっただけに、とってもこのスマイルが心に残りました。

しかし、正直な話、ジュリーに残された時間は残り僅かなのも事実だと思います。昨年私が参戦した福岡のライブでも思ったのですが、まだまだやり続ける意志を持ちながらも、「これが最後になっても悔いはない」という気概を背負ってライブに望んでいる気がします。

昨今の芸能ニュースでは、それまで強大な力を持ち続けた大物たちが、本筋の芸事とは関係ないスキャンダルで足元をすくわれ、次々にあっという間に倒れていっています。ファン商売でありながら一生懸命生きてこなかったツケが回ってきたようにも感じます。

ジュリーは自らの努力で芸能界のスーパースターの座を勝ち取り、自身の考えでその動きを縮小化し、その結果最後には本当に自身を本当に理解してくれる人たちばかりが集まってきてくれました。本当に羨ましい生き方です。

これからもずっとずっとジュリーの生き様を拝聴していきたいと思います。

きょうはこんなところです。それでは、また。

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