こんにちは、みやけです。
今回は私の骨髄移植体験記の5回目です。前回の内容は下記をご覧ください。
前年11月に「骨髄異形成症候群の疑い」との診断を受けた後、あれよあれよという間に症状・数値は悪化し、9ヶ月後には化学療法を行う羽目になりました。それはあくまで”延命措置”的な意味あいのものであり、最終的に骨髄移植を実現させ完治させるまでの間、症状の悪化を止める治療です。
その名前は「ビダーザ療法」。しかしこの処置も人によって効く効かないの個人差があり、さらには副作用が大きい人もいるのです。効き目は開始後1~3ヶ月くらいしないと分かりません。更には実施後重い副作用が出る人もいるので、ビダーザ治療は私に合っているのか?それを計測する意味が高い入院となりました。入院期間の目安は盆明けから1ヶ月程度の予定でした。
このビダーザ治療とはどんな処置なのか、細かく書き出すと相当に長くなるので、滅茶滅茶端折って説明すると、ガン細胞の成長を遅くさせる治療です。
しかし細胞を根絶させるような抜本的なものではないのであくまで延命的なものです。それでも人によっては相当に効果をもたらす人もいて、少数ながら骨髄移植を回避し何年もビダーザ治療で日用生活を送る人もいるようです。ごくごく少数ながらビダーザ治療で回復し、治療が不要になる人もいるとか。。。
パターンとしては1週間連続で(土日はなし)ビダーザ注射を行い、それからは日常生活に戻ります。そうすると効果が最初の実施後1~3ヶ月後くらいに現れ血液の各種数値がよくなります。しかしだんだんと効果が薄れ数値がよくなっても注射から1ヶ月後くらいには元に戻ってしまいます。
ですので、それを見越して、注射を打った1か月後に再度1週間連続で注射を打ちます。このように1週間注射~1か月通常生活~1週間注射のパターンを繰り返すことになるわけです。
ではビダーザ治療のメリットは?主に3つあると思います。
① 健康面
白血球の数値はいったん下がるので免疫力の低下の恐れが高まります。ビダーザを打ち続ける以上この状況は続きます。コロナ過で多くの方々が実体験したと思いますが、免疫力が下がるということは風邪のような極々ありきたりの病気に罹ったとしても重症化する恐れがあり、社会生活を送るにあたっては非常に窮屈な思いで恐る恐る生きていくことになります。
② 仕事面
化学療法なので、処置は近所の町医者で良いというわけでなく専門医に毎回通院しなければなりません。ビダーザ治療は1週間毎日通院が必要です。注射後体調が悪くなる人も中に入るようですが、そうでない人であれば朝一番に病院に行き注射を打ってもらってそれから昼前くらいに出社することも可能でしょう。
実際私もそうしていました、しかし、1日限りならともかく1週間毎日、それが約1ヶ月おきに定期的に続くのですから、勤務先の理解が必要になります。ビダーザの場合事前の血液検査等はないですから、朝イチ9時に注射を打ってもらってそれから会社に直行していたので、どう頑張っても10時半頃の出社になります。出社日の1/4をそのパターンで行うというのは中々肩身の狭い思いをするはずです。
③ 金銭面
ビダーザ注射のワンクール分(1週間)の代金は保険を使っての自己負担額は20万円を突破します。高額療養費制度を使用しても一般的なサラリ-マンなら月の医療費が毎月7万程度かかることになります。
私の場合、前年末の冬のボーナスは全てこの治療のために取っておきましたが、それでもとても足りる訳がなく、貯金を切り崩す毎日でした。趣味でお金を使うことがなくなったので生活費の大半は医療費に回っていましたが、やはりこの金銭的負担は大きかったですね。
私はこの病気なるまでは高額療養費制度の存在を知りませんでした。改めて考えるとこの制度には大きく助けられましたね。これがなかったら、治療は続行したいがお金がなくて続けられない、ということになっていた可能性は大です。これプラス通常の定期健診では毎回注射器8本分の採血を行い、診察費は15000円平均で飛んでいきますからねぇ。。。
ただし、「障害年金」という制度があるので承認されればこの治療の大半は戻ってくるのですが、、、この話はずっと後の事になります。
まあ、そのようなデメリットだらけな状態なのですから、ビダーザはあくまで急場しのぎ的な対処であり、目標としては骨髄移植を目指すわけです。とりあえず私は少しでも体調を整え、盆明けからの入院に備えました。入院期間は1ヶ月を想定。会社にも9月20日までの休職依頼を提出し受理されました。
しかしこの時点で、病気とは全く関係ないことなのですが、決断を迫られたことがありました。私は歌手の沢田研二さん、ジュリーのファンでライブに今でも頻繁に参戦しているのですが、9月18日の福岡サンパレスでのチケットをすでに確保していたのです。
チケットを申し込み、当選が判明したのは6月頃だったと思いますが、その後体調が悪化し入院することになってしまいました。ただしこの時期のジュリーのライブは反戦歌中心のセトリが多く、それにはちょっと抵抗があっていたので、年によってライブには行ったり行かなかったりの状態になっていました。
しかし、この年のライブのテーマは「デビュー50周年記念、シングル50曲を1番のみの歌唱で披露する!」というものでした。テレビに出まくっていた時のヒット曲について、ライブではなかなか歌ってくれないジュリーですが(セトリは基本直近のアルバム収録曲中心)これにはさすがの私も「這ってでも行かねば!」と思いました。
ちなみにその際の曲のラインナップは以下の通りです。あの時代を過ごした方ならばジュリーファンでなくても記憶に残っている曲ばかりですよね!1番だけとはいえ、これは行きたくなります!
この中で行くと「CHANCE」とか「灰とダイヤモンド」あたりは滅多にライブでは歌われず今後のライブで披露される可能性も非常に低い。「これが最初で最後の生歌を聞くチャンスになるのでは?」という思いがありました。(実際そうなりつつあります)両曲ともジュリーの大きな転換期にリリースされた曲で私自身とても好きな曲です。
既にこの頃から、ジュリーのライブチケットは即完売の状況でしたから、他のファン方への譲渡も考えました。入院が伸びる可能性もありますし、そもそも免疫力が落ちているのだから、人が密集し歓声が飛び回るライブ会場は全くお勧めできない環境であることは間違いありません。
とりあえず、入院が早めの終わった場合、ライブに行っていいかどうか担当医にこのことを相談しました。担当医のN先生は「この人にそんな趣味があるのか?」とちょっと驚いていましたが、「マスク着用、歓声は上げない。(これはもともとそんなことはしない)、会場へは直行直帰」という事を条件に許可してもらいました。
私はこの1年近くは病気に振り回されい嫌なことばかりだったので、「ライブに行くことを一つの目標としよう」と誓いチケットはそのまま保管することにしました。もし経過が悪くライブ参戦は見送りになったとしても、それはそれで「悔しさの証」としてチケットはその後の治療の「お守り」としよう、と心に決めました。
その後、どうなったか!それは追々書いていきますが(笑)実に感動的な結末となりました。反戦歌ばかり歌うジュリーには正直数年ほど距離を置いていたのは事実ですが、この一件で「必ず元気になろう!」と決意できたのは本当に良かったですし、チケットを流さなかったのは私の英断(笑)だったのは間違いと確信しています。ジュリーには感謝しかありません。
まあ、このような状況下で私はお盆をしめやかに自宅で過ごし、入院を迎える事になりました。そして、その前後。「輸血」という未体験の処置に向き合う事になる訳です。これがまた虚無感が倍増するのですよ。。。
今日はこんなところです。それでは、また。